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起業

InterviewWatch 登録日: 2014/12/25

今年3月、マザーズに上場したCYBERDYNE(サイバーダイン)は、株式市場の中で注目を集める存在だ。同社は筑波大学発のベンチャーで、ロボットスーツ「HAL(ハル)」を製造・販売している。

筑波大学の教授がベンチャーを立ち上げた意味。ロボットスーツができる社会貢献。ビジネスとしての可能性。などなど、山海氏が目指す、大学発ベンチャーの大枠がうまくまとめられたインタビュー記事。

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ビジネスモデル

起業

InterviewWatch 登録日: 2014/12/25

日本機械学会誌 - 2010/03/11

インタビュイー:山海嘉之
インタビュアー:メカライフ学生編修委員

今回のゲストは,「ロボットスーツ HAL(ROBOT SUITHALⓇ)」福祉用の開発者として知られ,筑波大学大学院システム情報工学研究科サイバニクス研究室の教授であり,また大学発ベンチャー企業 CYBERDYNE 社の CEOでもある,山海嘉之先生である.人・機械・情報を融合した新しい学術領域としてサイバニクスを提唱し,日本の最先端ロボット技術を牽けん引する先生はとても情熱的で,学生委員一同,終始楽しくインタビューさせていただいた.

日本機械学会誌 2010. 3 Vol. 113 No.1096の抜粋記事PDF4ページ。学生たちが山川氏に、インタビューする形式でまとめられた記事。

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起業

InterviewWatch 登録日: 2014/12/25

第169回 農業生産法人 株式会社GRA 代表取締役CEO 岩佐大輝 Hiroki Iwasa 1977年、宮城県山元町生まれ。高校卒業後に上京。パチプロとして生計を立てるように。その後、フリーのプログラマーになり、システム開発などの仕事を個人で開始。大学在学中の2002年、ITコンサルティングを主業とする有限会社ズノウを設立(現株式会社ズノウ)し、代表取締役に就任。東日本大震災が発

幼少時代から、青年期、最初の起業、震災後の農業生産法人立ち上げまで、波乱万丈の岩佐氏の人生の軌跡をまとめたインタビュー記事。

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人生

起業

InterviewWatch 登録日: 2014/12/30

第28回 株式会社幻冬舎 代表取締役社長 見城 徹 Toru Kenjo 1950年、静岡県清水市生まれ。県立清水南高等学校を卒業後、慶応義塾大学法学部政治学科に進む。大学卒業後、廣済堂出版に入社。このときにつくった書籍『十万円独立商法』が、東京スポーツ記者時代の高橋三千綱氏の目に留まり、紙面で大きく取り上げられる。高橋氏との出会いがきっかけとなり、中上健次氏、立松和平氏などとの交遊が

幼少時代から、青年期、角川書店社員時代の逸話、起業から幻冬舎を成長路線に乗せるまで、波乱万丈の見城氏の人生の軌跡をまとめたインタビュー記事。

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InterviewWatch 登録日: 2014/12/31

世界21カ国で自社プロダクトを販売する、 日本を代表するハードウエアベンチャー 大手企業にはつくりたくてもつくれない製品がある――。大手家電メーカーに勤務したことで、その原理原則を知ったという岩佐琢磨氏。彼が同社を退職した2007年頃、ハードウエアベンチャーを取り巻く周辺環境が急速に整いつつあった。そして、起業。ネット×ソフト×ハードのものづくりで世の中を変えることを志

幼少時代から、青年期、松下電器産業社員時代の逸話、起業からセレボを成長路線に乗せるまで、波乱万丈の見城氏の人生の軌跡をまとめたインタビュー記事。

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InterviewWatch 登録日: 2015/01/06

第142回 株式会社gumi/代表取締役 国光宏尚 Hironao Kunimitsu 1974年、兵庫県生まれ。私立岡山高校を卒業後、風来坊生活に突入。1995年の阪神淡路大震災を体験し、新たな死生観を抱く。自分を変えるためには、環境を変えるしかないと、単身、中国へ渡り、上海の復旦大学へ入学。30歳になるまでは自分の好奇心の赴くままに動こうと決め、その後、同大学を中退し、中国、チベット

幼少時代から、青年期、米国時代の逸話、起業からgumiを成長路線に乗せるまで、波乱万丈の国光氏の人生の軌跡をまとめたインタビュー記事。

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InterviewWatch 登録日: 2015/01/06

加藤順彦 Yorihiko Kato 1967年、東京都生まれ。小学2年生から大阪で育つ。1986年、関西学院大学商学部に入学。当時、大阪ミナミの“夜の顔”だった真田哲弥氏(現KLab株式会社代表)に憧れ、彼のカバン持ちをしつつ夜遊びをする日々を送る。大学の授業はほとんど受けず、真田氏が立ち上げた学生企業・株式会社リョーマに参画。1989年、「ダイヤルQ2」事業のダイ

幼少時代から、青年期、学生起業チーム時代の逸話、起業。そしてシンガポールから日本を揺さぶり刺激を与える事業化へ。波乱万丈の加藤光氏の人生の軌跡をまとめたインタビュー記事。

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InterviewWatch 登録日: 2015/01/14

日本インタビュ新聞 - 2006/07/06

インタビュイー:小嶋成夫

同社は振動による試験装置の世界的メーカー。年間売上57億円、経常利益7億円(ともに06年9月期予想)。小さい頃から、商売が身近な存在だったそうですが。「実家が、商店街で家具屋を営んでいましたので商売を見て大きくなりました。就職は、家から社屋が見えていた早川電気工業(現在のシャープ)に迷うことなく決めました」。出会いを大切にした自然流の生き方とお見受けした。

倒産寸前の会社を再建させた、元公認会計士。幼少期から、シャープ勤務時代の話、企業再建、上場までのプロセスを短文でまとめたインタビュー。小嶋氏の趣味のお話も。

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InterviewWatch 登録日: 2015/01/21

だいぶ昔の話になりますが、1990年代終わり頃の数年間、僕はある大手証券会社のベンチャー企業支援事業のお手伝いをしていたことがあります。具体的には、全国の中堅・中小企業の経営者や起業家向けに月刊情報誌を

孫正義氏の弟・泰蔵氏が、東大受験に二度失敗した際、兄から教わった計画づくりの話、大学卒業後に就職せずヤフージャパン立ち上げに参加した話、そして初の起業の話など、1998年1月のインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/01/21

株式会社コロプラ――。世界に類を見ない、「位置ゲー」(コロプラの登録商標) という概念を、広く世の中に浸透させた位置情報ゲームのパイオニアである。常に人が持ち歩く携帯と位置情報を使い、リアルとバーチャルの世界をエンターテインメントで軽やかにつなぎながら、新たなマーケットを開拓し続けている。同社の代表を務める、馬場功淳氏が、会社員時代(2003年)に開発した「コロニーな生活」(後の「コロニーな生活☆PLUS」)は、昨年(2010年)大ブレイク! 上期「日経ヒット商品番付」東前頭筆頭に選ばれるなど、飛躍的に会員数増に成功した。「多くの人にとって通勤時間は苦痛ですよね。『コロプラ』では、通勤距離が長い人ほど儲かる仕組みになっていますので、遠距離通勤者ほど報われる。日常の移動が楽しくなることが、大きな魅力だと思います」。今回はそんな馬場氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

コロプラを立ち上げた馬場氏の幼少時代、青春時代、会社員時代から起業してコロプラを軌道に乗せるまでの半生をまとめたインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/03/09

第一次産業、第二次産業、第三次産業のといった既存ビジネスの枠組みを、すべて取り払った“生販直結モデル”で、躍進を続ける新・外食企業がある。自社で養鶏場をつくる、漁船を持ち定置網漁を行う――。かつて、ここまでの取り組みをした企業があっただろうか……。エー・ピーカンパニーを設立し、この仕組みをゼロから構築したのが、同社の代表を務める、米山久である。「とてつもなく大きな責任を負ってしまった。もう、自分たちの夢を叶えようといった、甘い段階ではなくなったということです。そして、雛の誕生から仕事にかかわることが、スタッフのモチベーションを格段に高めてくれた。自分たちは肉の塊を扱っているのではなく、大切な生命を使わせてもらっている。そして、地方の一次産業の活性化を担っている」。今回はそんな米山氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

第六次産業を独自の飲食ビジネスで構築する、一人の起業家の挑戦物語。やんちゃな時代の話も面白い。

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InterviewWatch 登録日: 2015/03/09

世界的に人材の流動化のスピードは速まっている。それにともなって、日本でもフリーランサーとして活躍する人は増えているが、彼・彼女たちの労働環境、生活環境はまだまだ未整備であり、いまだ不安定なものといわざるを得ない。そんなフリーランサーたちの弱い立場を守ることを目的に、仕事の発注元となるクラ イアント企業とフリーランサーの中間に立って、エージェンシー活動を展開しているのがクリーク・アンド・リバー社。29歳で同社を立ち上げたのが、映像メディアを中心とした元フリーディレクターだった井川幸広氏だ。自らフリーランサーとしての経験を有し、活動経験の中で培ってきた信念のもと、“商売抜き”でこのマーケットづくりに心血を注いできた。「映画づくりも事業経営も、“良いものづくり”という意味では一緒だと思うんです。お客さんから返ってくるのが拍手か、利益か、それだけの違い」と、語る井川氏。今回は、そんな井川氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

クリエイター、医師、弁護士など、業界別に人材エージェントビジネスを仕掛ける井川氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/03/09

ドリームゲート - 2011/04/25

インタビュイー:冨田洋
インタビュアー:菊池徳行

道路の陥没を防止するため、世界初の「路面下空洞探査システム」を実用化。さらに、対人地雷探知装置「マイン・アイ」を開発し、タイ・カンボジア国境周辺の地雷除去にも貢献。冨田洋氏が代表を務める、インフラ・セキュリティ・サービス企業、ジオ・サーチは、今日も、地中や構造物に生じた見えない危険を探索し、世の中の人々に安全を提供し続けている。社会起業家の一面も併せ持つ冨田氏は、創業以来、常に“世の中に存在する困り事”を見渡しながら、社会に役立てる新たな技術を開発してきた。「誰だって本当は人の役に立ちたい。それも、自分の得意技を通じて。これこそが、生き方と働き方のベストマッチングです。その時ほど、脳が喜ぶことはないんですよ。結局、儲かった・儲からないだけでは本気で脳は喜んでくれないんです」。今回はそんな冨田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

見えない地中の危険を発見する独自の技術で、日本のインフラの安全と人の暮らしを守り続けるジオ・サーチ。同社代表・冨田氏の、幼少時代からこれまで(取材時)の人生の軌跡をまとめたインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/03/10

2010年上期に国内の株式市場に上場した企業数はわずか12社。そのうちの1社、6月に東証マザーズ市場に上場したのが、「恋愛」と「戦い」をテーマに女性向け携帯コンテンツを提供しているボルテージだ。同社を起業した津谷祐司氏は、映画監督になる夢を実現するため、UCLA映画学部大学院で学んだ本格派。そんな津谷氏が、映画で培ったすべてのノウハウを注ぎ込んだ、オリジナル・携帯コンテンツには、簡単には真似できない共感を生み出すドラマがある。そんなボルテージが目指す未来とは……。「感覚として、すでに国内ターゲット層の半分くらいは獲得しているので、そのうち天井がきてしまう。なので、英語版、中国語版など、海外展開にも挑戦していきたいですね。映画は定期的につくっていきたい。長い歴史を持つ映画界には、ドラマのつくり方を始め、タレント事務所との交渉術、マスメディアへの活用方法など、学ぶことはまだまだありますから」。今回はそんな津谷氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

書籍「胸キュン」で100億円が話題に。女性向けスマホ恋愛ゲームを仕掛ける津谷氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/03/10

家業の倒産により、一家離散。強硬な債権回収が始まる。裕福な家庭事情は暗転し、いきなりどん底生活へ突入。そんな家庭に生まれ育った少年は、勉強とス ポーツを武器に、自分を外部からの攻撃から守り続けた。青春時代、高校をすぐに辞め、やんちゃもしたが、18歳の夏、あるきっかけから、社長を目指していた幼き頃の夢を思い出した。最初に就職した会社で、組織運営の“いろは”を吸収した後に退職。起業を決意し向かった先は、父が事業を失敗させた、自身の生まれ故郷でもある山口県・宇部市。底辺からのスタートすることを自分で決め、足場組みの個人事業主から、上場企業経営者へと自分自身を成長させたのが、株式会社エムビーエスの代表取締役、山本貴士氏である。ロック界の“成りあがり”代表が矢沢永吉氏なら、山本氏はビジネス界のそれといえよう。今回は、そんな山本氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ホームメイキャップというメインとなる自社サービスを武器に、建物、インフラの美的保護事業を仕掛ける山本氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/04/28

「留職」――日本の大手企業社員が自社の看板を背負い、派遣された新興国のNPOで働きながら社会課題の解決に取り組むことで、枠組みやルールのなかで消えかけていた自分の夢や志を取り戻す――まずは人を変え、組織を変え、そして社会と未来を変えていく、そんなプロジェクトである。この仕組みを運営しているNPOが、2011年に設立されたクロスフィールズだ。同NPO法人の代表・小沼大地氏は、教職を志望していたが、青年海外協力隊、戦略コンサルティング会社を経て、このスキームを発案することになる。「僕たちは、大きな時代の転換期を生きていると思うんですよ。実は先がもうない今の太い道を歩むか、先が見えないけれど自ら新たな道を切り開いて前に進むか。僕は後者のほうが、楽しく明るい人生につながっていると信じています」。今回はそんな小沼氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

今、大手企業からも社員研修として話題の「留職」を手がける、小沼氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/04/28

04年11月、パソナが移転した東京・大手町の本社ビル。その地下2階に突如出現した、都市型地下農場「PASONA O2(パソナオーツー)」が各界から注目をあびている。農業分野の雇用創出を見すえた、南部靖之氏の新たな取り組みだ。これまでも、阪神大震災後の神戸復興プロジェクトを立ち上げるなど、社会的な必要性を優先するさまざまな事業に挑戦し続けてきた南部氏。そんな南部氏に、起業を志した経緯、大切にしている事業のミッション、そしてプライベートの楽しみ方まで大いに語っていただいた。

人材派遣大手パソナの創業者南部氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/04/28

2005年7月に発刊され、早くも12万部を超えるベストセラーとなった『プロ経営者の条件』(徳間書店)。その著者である折口雅博氏が、ゼロから、いや 泥沼のマイナスの中から立ち上げたグッドウィルは、わずか10年でグループ年商1400億円、そして歴代2番目のスピードで東証1部上場企業へと成長し た。氏が著書の中で提唱している「センターピン理論」というキーワードがある。この考え方に多くの経営者が共感し、自社の経営方針に取り入れたという話を 最近よく耳にする。そんなウォームハート&クールヘッドを兼ね備えたカリスマ・ベンチャー経営者、折口氏に、起業を志した経緯、大切にしている理念、そし てプライベートまで大いに語っていただいた。

グッド・ウィルグループ株式会社創設者折口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/04/28

1992年、米国シアトルに誕生したスペシャルティコーヒーショップ「タリーズコーヒー」。楕円にオレンジとグリーンのストライプのロゴマークを掲げた日 本1号店は、97年8月、東京・銀座のど真ん中にオープンした。そして現在、早くも全国に約300店舗を展開中。この一大チェーンを築き上げた起業家の正 体は……大手資本のバックアップは一切なし、飲食店で働いたのは高校時代のアルバイトのみという元銀行員なのだ。そんな彼が徒手空拳でスタートしたこの挑 戦には、もちろん数多くの高いハードルが待ち受けていた。「食を通じて文化の架け橋になること――」。これが常に彼の“折れない心”を支え続けてきた使命 感だという。今回は、若きベンチャー経営者、フードエックス・グローブの松田公太氏に、起業を志した経緯、大切にしている経営理念、そしてプライベートま で大いに語っていただいた。

「タリーズコーヒー」を一大チェーンに築き上げた企業家松田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/04/28

映画、舞台、テレビなど、様々なメディアで様々な役柄を演じる演技派俳優……。お好み焼き店「ぼちぼち」と、大阪に住む韓国人の人達が工夫を重ねて創作し た料理を提供する店「麻布十番・韓すき」を運営し、年商7億円を誇る企業経営者……。そのどちらもが開始以来、伊原剛志氏が真剣に取り組んでいる仕事であ る。18歳、高校卒業と同時に夜行列車で上京してから24年。常に、どうすればいい役者になれるかを考え、周りとぶつかりながら、戦いながら、妥協するこ となく人生を全速力で走り続けてきた。その結果、気が付けば、起業家という役柄も演じるようになっていた。そもそも、高校2年の頃に決めた「役者になる」 という志の背景には、在日韓国人として大阪・生野で育った自分の経験が影響しているのだという。今回は、そんな伊原剛志氏に、俳優、起業家、2つの顔を持 つに至った経緯、大切にしているポリシー、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

俳優、起業家、2つの顔を持つ伊原氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/04/28

外資系証券会社の共同経営者として、半年後に確実に得られた上場益獲得の権利を辞し、1999年4月、松本大氏はマネックス証券を立ち上げた。「インター ネットという民主的なツールを使って、正しい金融機関をつくりたい」。創業時に誓ったこの思いを実現すべく、株、ミニ株、投資信託、債券、中国株など業界 随一の豊富な商品ラインナップを取り揃え、他社に先駆け夜間取引や自動売買システムを導入し、そして、初心者向けの投資セミナーを全国で積極的に開催 中……。など、個人、特に株初心者を中心に、多くのユーザーから「株取引のことならマネックスのサイトに行けばなんとかなる」という認知を得ることに成 功。今日現在も、日本のネット証券会社の旗手として、新たなサービスを開発し続けている。今回は、10億円、いや、数十億円を捨て挑戦の道を選んだ男、松 本大氏に、青春時代から起業に至るまでの経緯、大切にしているポリシー、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本のネット証券会社の旗手、松本氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

 「モテるオヤジの作り方」「ちょい不良(わる)オヤジ」「ちょいムチ」などなど、斬新なタイトルコピーが、日本のモテたいオヤジたちの本音に火をつけた。 2001年9月の創刊以来、モテるオヤジを目指すための実用型参考書として大ヒットしたライフスタイル誌『LEON』。3年後の04年9月には、女性誌 『NIKITA』も創刊し、同じくヒットを続けている。両誌の創刊編集長である岸田一郎氏は、時計、クルマ、ファッションと様々なアイテムを扱う雑誌を創 刊し、いくつものブームをつくってきた名物編集者である。これまで手がけたヒット作の裏側には、常に氏が考える独自のビジネス成功戦略が貫かれている。今 回は、カリスマエディターであり、敏腕ビジネスプロデューサーとも評される岸田一郎氏に、青春時代から『LEON』創刊に至るまでの経緯、大切にしている ビジネスセオリー、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ちょいワル親父でファッションリーダー岸田一郎氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

ドリームゲート - 2006/03/16

インタビュイー:川淵三郎
インタビュアー:菊池徳行

1993年、日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグは幕を切った。今日、サッカーというスポーツがここまで多くの日本国民から支持されるようになったの は、川淵三郎氏の尽力のおかげといえるだろう。氏のサッカー発展への情熱をかきたてるものは何なのか? そこにはサッカーという概念を超えた、未来の日本 の窮状を救うための、ぶれない理念が常に存在している。日本サッカーリーグのチェアマンから、日本サッカー協会のチェアマンへ。そして、「百年構想」、 「キャプテンズ・ミッション」、「2005年宣言」……、常にその志と理念を進化させながら発信し、実現に向けて奔走を続ける川淵キャプテン。今回は、そ んな川淵三郎氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の初代チェアマンである川淵氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

ドリームゲート - 2006/03/24

インタビュイー:おちまさと
インタビュアー:菊池徳行

「仕立屋工場」「自分電視台~Self Produce TV~」「24人の加藤あい」などなど、常識を覆す数々のヒット番組を連発してきた、プロデューサー・おちまさと氏。彼のクリエイティブは、テレビだけに とどまらず、ラジオ、洋服、メガネ、音楽へと広がっている。また昨今では、NTT DoCoMoのセカンドファッション携帯ブランド『ダットエムオー』の総合プロデュース、数々のベンチャー企業の新企画コラボレーションなども手がけるよ うに。今回は、そんなおちまさと氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

現在まで多くのテレビ番組の企画、構成、演出、プロデュースを手がける、おちまさと氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

桃のピーチにジョン。ジョンは英語圏の男性名で、日本で言えば太郎・・・。桃太郎?そんな男らしい名前を冠する、女性向け下着通販ブランド「ピーチ・ジョ ン」。今や年商170億円を超え、若い女性の4人にひとりが、カタログ誌『PJ』の読者であるという。女性ならばほぼ知らない人はいないであろう同社を率 いる男前経営者であり、4児の母でもある野口美佳氏。あだ名はミカ☆ジョン。今回は、自分の直感を信じ、通信販売ビジネスマーケットに新しい常識をつくり 続けている野口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

株式会社ピーチ・ジョンの設立者であり、4児の母親でもある野口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

今年2月、笑顔の堀義人氏が『フォーブス誌』アジア版(2/13号)の表紙を飾った。その特集記事は、「Venture Professor(ベンチャー経営者兼教授)が、不毛地帯と呼ばれていた日本のスタートアップ企業向けベンチャーキャピタル市場を、本気で変ようとして いる……」、そんなコメントで始まっている。そのとおり、1992年に堀氏がたったひとりでスタートしたグロービスは、現在までに、延べ2万人ものビジネ スリーダーを輩出し、200億円規模のベンチャー向けファンドも設立。そして2006年4月、文部科学省が認可した通学型では、国内初の株式会社立の経営 大学院「グロービス経営大学院」を開学した。日本の「ヒト」「カネ」「チエ」というビジネスインフラを、より堅固なものにすべく日夜走り続けている堀氏 に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

経済同友会幹事、日本ベンチャーキャピタル協会理事、世界経済フォーラム(WEF)主催のNew Asian Leaders 日本代表などを歴任中の堀氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

「リクルートの立ち上げ屋」と呼ばれた江幡哲也氏が、インターネットの勃興前、90年代中盤に思い描いていたビジネス構想がある。それが「ひとネット構 想」。その構想は、自ら手がけた、ある米国のベンチャー企業とリクルートとのジョイントベンチャー締結によって、結実した。それが、今や各分野の専門家 (ガイド)が400人、1500万人のカスタマーが利用する総合情報サイトに成長したAll Aboutだ。同社の社長である江幡氏は言う。「これは情報の選択に迷う消費者を賢くするための世直し事業である」。そんなアスピレーション(志)を胸に 抱き、今日も「こだわり消費におけるナンバーワン企業」を目指して、新たな挑戦を続ける江幡氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え 方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「リクルートの立ち上げ屋」と呼ばれた(株)オールアバウ ト設立者の江幡氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

19歳、始まりはプッシュホンの販売代理店……。創業者社長として、事業家として、20年間常に経営のトップを張り続けてきた近藤太香巳氏。「テルミーシ ステム」による電話加入権・携帯電話販売への参入、フェラーリ・イデア社とライセンス契約を締結し、オフィシャル携帯電話を販売、懸賞キャンペーンを活用 した新マーケティングサービス事業の立ち上げ、WOWOW社、ソフトバンクBB社、スカイパーフェクトコミュニケーションズ社などとの一次代理店契約の締 結……。常に自ら新たなビジネスフィールドを開拓することで、幾度のピンチをチャンスに変えてきた。そして、東証一部上場、社員数約700名、グループ企 業8社という一大企業に成長した現在も、ネクシィーズの進化は止まらない。「常に社員にとってのヒーローであり続けたい」、そんなちょっとベタなセリフも 彼の口から出ると様になる。そんな近藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

創業者社長として、事業家として、20年間常に経営のトップを張り続けてきた近藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

携帯電話の国内普及台数は既に9000万台を超え、電話、メール、インターネット、ナビゲーション、スケジュール、ID、チケット、クーポン、財布、リモ コン……と、我々にとって、生活になくてはならないツールとなった。携帯電話はすでに社会のインフラとなったと言えるだろう。1998年、このモバイル マーケットにいち早く参入し、常に業界のトップランナーとして君臨し続けているサイバード。そして、今やグループ連結売上高150億円超、従業員数500 名超の一大企業に成長した同社を率いるのが堀 主知ロバート氏だ。リアルとモバイルの融合による「+(プラス)モバイルでスマイル」をコーポレートスローガンに、「1人でも多くの人から、ひとつでも多 くのありがとうを」。この想いを胸に、常にユーザーオリエンテッドの姿勢を守りながら、サイバードは今日も進化を続けている。「僕は根っからの商人(あき んど)なんです」と、自らが言い切る堀氏らしい理念といえよう。そんな堀氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベー トまで大いに語っていただいた。

モバイルインターネット業界の旗手として各界から注目されている堀氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

2006年3月16日、新北九州空港開港。その同じ日に、スターフライヤーの北九州・羽田線が就航した。フラワー・ロボティクスの松井龍哉氏がデザインを 手がけた、機体のメインカラーはブラック。「これでエコノミーなの?」と初めて搭乗した誰もが驚くほど、ゆとりのあるシートも全席ブラックの革張り。ノー ト型パソコン用の電源コンセント、個人用液晶テレビを装備し、機内でサービスされるコーヒーは薫り高いタリーズコーヒー……。しかも運賃は大手航空会社よ りも格安で、フレンドリーな客室乗務員が、最高のおもてなしの心をもってお出迎え。そんな話題性抜群のラグジュアリー・エアプレインが、日本にお目見えし たのだ。そして「北九州市や福岡県の行政や企業、地域の方々のあたたかい支援がなかったら、今、私はここに座っていませんよ」と笑顔で語る男が、同社を 53歳で起業した堀高明氏である。設立から3年をかけて、地域の思いと我が思いを見事に一致させ、ゼロから航空会社を立ち上げた堀氏に、青春時代からこれ までに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ライト兄弟のフライヤー号初飛行の記念日からちょうど100年目となる2002年12月17日、スターフライヤーを設立した堀氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

ドリームゲート - 2006/07/04

インタビュイー:寺田 和正
インタビュアー:高橋光二

カラフルで華やか。一目でそれとわかる個性的なデザインのバッグがいま、若い女性のハートをわしづかみにしている。ヒルトンホテル創業者一族のヒルトン姉 妹、歌手のビヨンセ、プロテニス選手のマリア・シャラポワ、サッカーのベッカム選手夫人のヴィクトリア、人気モデルの “エビちゃん”こと蛯原友里など、セレブを起用したプロモーションやデザインでも話題を集める。そのブランドとは「サマンサタバサ」。率いるのは寺田和正 氏。華やかなファッションの世界でタクトを振るいながらも着実に経営を推し進め、創業11年で東証マザーズに上場を果たす。創業時から世界を目指し、あえ て社名に「ジャパンリミテッド」とつけた。ニューヨークでの海外1号店オープンも間近に迫り、インターネットとリアルを融合する新しいブランドビジネスに も乗り出す――。そんな寺田氏の今日を築いた転機や、チャレンジブルな経営哲学を語っていただいた。

毎年のように新ブランドを誕生させている寺田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

ドリームゲート - 2006/07/25

インタビュイー:藤田憲一
インタビュアー:菊池徳行

2006年1月23日。スキルス胃ガンの再発が見つかり、藤田憲一氏は余命3カ月の宣告を受けた。この日は、ライブドアの堀江貴文氏が逮捕された日。「逮 捕されて、すべてを失ったとしても生きられるだけうらやましい」。思わず口に出た言葉……。出口の見えない絶望……。しかし、絶望感にさいなまれる中で、 彼は新たな光を見つけた。「今の医療が治せない病気なら、自分の力で治すための行動をしてみよう」。「例え病気は治せなくて死んでしまったとしても、生き ているうちに意味があるものを残そう」。そして、「藤田憲一という人生の総仕上げ」と題した事業計画を書き上げた。この計画の根底には、彼がずっと胸に抱 いてきた、「個人が情報発信をし、社会に影響を与える世の中をつくりたい」という志がある。さあ、行動開始。自分流の「メディアとネットの融合」を目指し て……。自ら灯したその光が、藤田憲一という人間に1日、1時間、1秒だけでも先の未来を見せようとしているのか、取材日である今日7月10日は、彼が余 命宣告を受けたリミットからすでに2カ月と2週間を経過している。この日、藤田氏は、優しく、ていねいに、そしてゆっくりと私たちのインタビューに答えて くれた。青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

余命3カ月の宣告のリミットを振り切って「藤田憲一という人生の総仕上げ」と題した事業計画を書き上げた藤田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

ドリームゲート - 2006/08/04

インタビュイー:熊谷正寿
インタビュアー:菊池徳行

激務の中、ドリームゲートユーザーのために時間を割いてくれた、GMOインターネットグループの熊谷正寿氏。インタビューは、氏が社内会議を終え、取材場 所へ向かう移動時間も惜しんで、ブルートゥースを利用した電話会議システムを介してのスタートとなった。音声だけのやり取りをして数分後、取材場所である 執務室に到着した熊谷氏は、さわやかな笑顔で、「バタバタして、本当に申し訳ございません」とペコリ。そのていねいな物腰に、取材陣一同、恐縮。その後 は、質問の先の先を読むかのように、氏の口からは次々にきちんと整理された言葉がよどみなく流れ出してくる。94年にインターネット事業を開始してから、 変化の激しいこの業界で常にイニシアチブを保ち続けている同社。このポジショニングを維持できている理由は、熊谷氏の先を読む力、スピードを重視した大胆 なアクション、社内の一体感を醸成するマネジメント力にあるようだ。そんな熊谷氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプラ イベートまで大いに語っていただいた。

「すべての人にインターネット」「ニッポンのインターネット部を目指して」をコーポレートフィロソフィーキャッチに、現在約2091万人のネットユーザーに様々なサービスを提供している熊谷氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

ドリームゲート - 2006/08/22

インタビュイー:藤田 晋
インタビュアー:菊池徳行

取材前、改めて『渋谷ではたらく社長の告白』を読み返した。上場直後のネットバブル崩壊の頃から、一時会社の身売りを考えたというくだりまでは、第三者の 読者としても本当につらくなるほどだ。しかし、最年少の26歳、インターネット広告会社で初の上場と、初めてづくしを自ら背負い込んだ若き経営者藤田晋氏 は、幾多のプレッシャーに耐え続け、嵐の期間を乗り切った。当の藤田氏は「当時は本当に何もわからないことばかりでしたからね」と淡々と語るが、驚くべき 強靭な精神力の持ち主といえよう。設立当初に決めた「21世紀を代表する企業を創る」という思い。この信念を常に胸に抱き、現在も日本のインターネットビ ジネスを牽引し続けるサイバーエージェントの総帥。そして、強いマネジメント力と、的確な決断力で、同社を未来へと導くアントレプレナー藤田氏に、青春時 代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

クリック保証型のバナー広告事業で急成長したサイバーエージェント設立者藤田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

ありえないくらい元気な居酒屋がある。その名は「てっぺん」。現在、東京・自由が丘に1店、渋谷に2店、三重県桑名市に1店と合計4店舗が元気に営業中。 この居酒屋を経営する会社を率いるリーダーが、大嶋啓介氏である。自称「夢を与える男日本一」。営業前に毎日スタッフ全員で行う「本気の朝礼」が、業界内 外のマネジメント層から注目され、年間で5000名を超える見学者が殺到。もちろん一般のお客も、「夢」と「元気」をもらいに夜な夜なこの店に訪れる。4 店舗とも、月商1000万円ペースをキープするなど、業績も絶好調だ。大嶋氏は店舗の経営以外にも、日本の居酒屋を元気にするプロジェクト「居酒屋甲子 園」をプロデュース。また、リーダーシップ研修の講師としての依頼が絶えず、毎月15~20本の講演のため全国を飛び回っている。「共に学び、共に成長 し、共に勝つ」を合言葉とし、居酒屋という舞台で日本中に元気を提供している大嶋氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプ ライベートまで大いに語っていただいた。

「朝礼日本一の店」として全国から朝礼見学者が殺到の「てっぺん」設立者大嶋氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

デザイナーズワンルームマンションの開発事業を皮切りに、不動産流動化事業・アセットマネジメント事業新築分譲事業・中古再生事業・不動産ポータルサイト 事業・賃貸保証事業を手がける。2001年12月、24歳の杉本宏之氏が立ち上げた株式会社エスグラントコーポレーションは、わずか5年という短期間で総 合不動産企業に成長した。そんな杉本氏が歩んできたこれまでの起業家人生が順風満帆だったかというと、さにあらず。倒産の危機、慢心から生じた巨額の赤 字、上場の度重なる延期……。まるで悪魔にもてあそばれるかのように、杉本氏の志の前には様々なハードルが何度も押し寄せてくる。しかし、数え切れないほ どの試練を、杉本氏は強靭なねばりと精神力で打ち負かしてきた。ディベロッパー業界最短、最年少で株式上場を果たし、未だ20代のベンチャー経営者、杉本 氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

デザイナーズワンルームマンションの開発事業を皮切りに、不動産流動化事業・アセットマネジメント事業新築分譲事業・中古再生事業・不動産ポータルサイト 事業・賃貸保証事業を手がける杉本氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

F1レースは世界約200カ国に放映され、1レース平均で約5億8000万人の視聴者があるという。ファンの方には言うまでもないことであるが、そういっ た意味で、オリンピックや、サッカーのワールドカップと並ぶ世界的スポーツイベントなのである。ミハエル・シューマッハ選手の引退、鈴鹿サーキットの最終 開催年というニュースが話題の2006年F1シリーズ。さらにここに、日本チームとして鈴木亜久里氏が、スーパーアグリF1チームとして参戦を表明したの だ。~Born in Japan~。なんと魅力的な響きを持つ言葉だろう。日本のF1ファンにとっては、観戦のため眠れない日が増えたことは間違いない。ちなみに、F1のトッ プチームの年間運営費用は400億円を超える。様々な人や企業の応援があるとはいえ、そんな巨額の資金が必要とされるピラニアクラブに、鈴木亜久里氏は個 人オーナーとして参戦しているのだ。カートレース、ツーリングカー、F3、そして28歳でF1ドライバーとなった彼は、どのようにしてF1オーナーへの道 を切り開いてきたのだろうか。今回は、鈴木亜久里氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていた だいた。

日本人初の表彰台を獲得。現在は日本人初、個人が立ち上げたF1チームのオーナーとして活躍中の鈴木氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

ドリームゲート - 2006/10/18

インタビュイー:稲本 健一
インタビュアー:菊池徳行

稲本健一氏は言う。「俺たちがやっているのはプロの水商売です」。1995年11月、名古屋でスタートした第1号店はもうない。「利益は出てたけど、あの 店は閉めました」と。大繁盛した第1号店の、役割は終わったという判断らしい。稲本氏らしいドラスティックな決断だ。場所、そこに集う人、そして時代感に よって必要な店は変わってくる。稲本氏は、まず店がこの場所にできたことをイメージし、たくさんのお客が楽しんでくれているシーンがカラー映像で浮かんだ ら、出店を決めるという。そしてその店づくりには、そのときにゼットンが有している、すべてのクリエイティビティを投下する。ゼットンは現在(06年10 月)、名古屋を拠点とし、東京、京都で26店舗の飲食店を展開中だ。まだゼットンを体験していない人は、ぜひ店に足を運んでほしい。どの店に訪れたとして も、独特のオリジナリティと、スタッフたちの元気なプロ意識に触れられるだろう。「店づくりって、本当に楽しい仕事。だから、前と同じ店をつくっても楽し くないでしょ」。そう言って笑う稲本氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

名古屋を拠点とし、東京、京都で26店舗の飲食店を展開中の稲本氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

28歳の若き経営者、岡村陽久氏が率いる株式会社アドウェイズは、2006年6月20日に東証マザーズに上場した。16歳から社会人となった岡村氏は、訪問販売という生き馬の目を抜く競争の世界で、まずは頭角を現した。営業力とは、どのような事業にも必要となる大切な経営要素であろう。最初は100人の組 織中でトップを勝ち取り、その後、さらに上を目指し、500人の組織の中で2番目の成績を収めている。それもまだ20歳前の若者がである。その後、この営業の達人は起業という道を選択する。その舞台は、1000年に1度のビジネスチャンスと言われる、インターネット市場だ。そして、クリック保証型広告事業 に始まり、成果報酬型アフィリエイト広告事業へとビジネスモデルを変化させながら、アドウエィズは急成長を遂げた。偉大な名将を称える言葉に「機を見るに敏」というものがあるが、岡村氏はまさにそれ。また、売れなければ収入がない完全歩合制の訪問販売と、成果報酬型のアフィリエイトビジネスは、意外に似て いたのかもしれない。今回はそんな岡村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「機を見るに敏」。28歳の若き経営者、岡村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

世の中が必要としているにも関わらず、誰も手がけようとしないことがある。なぜか? それは、目の前に立ちはだかる高いハードルを恐れるあまり、多くの人 たちは普通「できるか、できないか」という思考に陥ってしまうからだ。しかし、私たち人類の過去の歴史を振り返ってみてほしい。これまでいくつもの驚くべ き発明、生活を便利にする制度や仕組みが生まれているではないか。そしていつもそこには、「できるか、できないか」という後ろ向きな思考ではなく、「やる か、やらないか」という前向きな思考を持った、ドン・キホーテのような挑戦心あふれるひとりの人間がいた。今回紹介する、牧野正幸氏もまさにそのひとりで あると言えよう。彼は、誰もが「100%失敗する」と断言した、日本版ERPをゼロから開発・販売し、約5年で国内シェアナンバーワンの製品に育て上げ た。「私がやらなかったら、誰もやろうとしなかった。それでは、日本の大手企業の国際競争力がなくなってしまうと考えたのです」。そう言って笑う牧野氏 に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

誰もが「100%失敗する」と断言した、日本版ERPをゼロから開発・販売し、約5年で国内シェアナンバーワンの製品に育て上げた牧野氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

2006年10月5日、東京は豊洲に、こどもが主役のこどもの街「キッザニア東京(Kidzania Tokyo)」がオープンした。2歳から12歳までの子どもを主な対象とした、様々な職業を疑似体験することができるエデュテインメント施設である(エ デュケーション=教育とエンターテインメント=楽しみを組み合わせた造語)。オープン以来大盛況で、インターネット予約も受付開始と同時にアクセス殺到の 状態。筆者である私も何とか予約を取って子どもたちと出かけたが、平日の夜でもこのこどもの街は大賑わい。多くの子どもたちが、企業がスポンサードするパ ビリオンで、一所懸命働いていた。それも生き生きと、とても楽しそうに。ここまで「キッザニア東京」が流行っている理由は何なのだろう? それは日本とい う国がこの施設を必要としていたからにほかならない。面白くも何ともないが、それ以上に的確な答えが見つからないのだ。「キッザニア東京」を運営するキッ ズシティージャパンの代表である住谷栄之資氏は、60歳を超えてゼロスタートでこの施設をメキシコから誘致し、立ち上げた。今回はそんな住谷氏に「キッザ ニア東京」がブレイクしている理由、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

60歳を超えてゼロスタートで「キッザニア東京」を立ち上げた住谷氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

1997年9月、合資会社DNS(デジタルネットワークサービス)設立。2000年1月、インフォキャスト株式会社に改組。2000年9月、インデックス デジタル株式会社設立。2005年、四次元グループ株式会社設立。2006年7月、シナジーマーケティング株式会社に商号変更。25歳でインターネットビ ジネスを起業した谷井等氏が、約10年間で、代表を務めてきた社名の変遷である。世の中のニーズを常に敏感に察知しながら、あたかも出世魚のように会社の 名前とそのあり方を変化させ続けてきた。これからも経済環境はものすごいスピードで変化していく。きっと変革し続けられる企業にしか、チャンスは巡ってこ ないのだと思う。そしてシナジーマーケティングは今、顧客の声に耳を澄ましながら、CRMのリーディングカンパニーを目指して活動を続けている。しかし、 満たすことができていないのりしろを埋め尽くしたときに、次はどのようなビジネス分野に打って出るのか。彼の動向には、業界内外の関係者が常に注目してい る。今回はそんな谷井氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

世の中のニーズを常に敏感に察知しながら、あたかも出世魚のように会社の 名前とそのあり方を変化させ続けてきた谷井氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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人生

InterviewWatch 登録日: 2015/05/12

21世紀は環境の世紀。国や企業、私たち個人個人も、さまざまな環境保護への取り組みに関心を持たざるを得ない時代が始まっている。2000年4月、国はリサイクル基本法を制定。経済活動を行う多くの企業にとって、使用済み資源のリサイクルが義務付けられるようになった。同年の5月30日に、株式会社リサ イクルワンを立ち上げたのが木南陽介氏である。廃棄物排出企業、処理企業およびリサイクル企業、リサイクル資源ユーザーの3者をネットワークした電子取引市場の開設を行い、それまでつながりにくかった企業間情報マッチング事業をスタート。そして設立から6年。現在では環境問題のコンサルティングサービス事業、リサイクルオペレーション事業まで活動範囲を広げ、世界でも稀に見るリサイクル・ワンストップ・ソリューション・カンパニーに成長を遂げている。木南氏は言う、「環境といえばリサイクルワンと呼ばれる企業に早くしなければ」と。今回はそんな木南氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考 え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「環境をもっと新しく」を企業理念に、さまざまな環境問題の解決に力を注いでいる木南氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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ファッション

デザイナー

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/13

日経ビジネスオンライン - 2015/01/22

インタビュイー:皆川明
インタビュアー:川島蓉子

今回のゲストは20周年を迎えた人気ブランド「ミナ ペルホネン」を率いる皆川明さんです。ファッションとは? デザインとは? 新しさとは? そうしたものの価値について、じっくりお話を伺いました。

ファッションビジネス的視点から皆川さんをインタビュー。皆川さんのブランド「ミナ ペルホネン」の考え方に迫る。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/27

「ミリオンセラーを連発する出版社」。そんな形容で語られることが多い幻冬舎。同社の舵を取り仕切っているのが、見城徹社長だ。出版界において、彼の名前 を知らぬ人はいないだろう。また出版会社の経営者としてだけではなく、五木寛之氏、村上龍氏、石原慎太郎氏など、編集者としての見城氏の手腕に全幅の信頼 を置く著名作家も多い。1993年、角川書店の取締役職を辞し、幻冬舎を立ち上げるに当たって、見城氏は「新しく出て行くものが無謀をやらなくて一体何が 変わるだろうか」という言葉を残している。そのとおり、五木寛之氏、村上龍氏、山田詠美氏、吉本ばなな氏、篠山紀信氏、北方謙三氏などビッグネームを引っ さげて、同時6冊で一挙創刊デビュー……。出版大手にしか無理といわれていた文庫分野に、設立わずか3年目にして進出……。郷ひろみ氏の『ダディ』では、 離婚届け提出日に出版という単行本でのスクープを実現し、前代未聞の初版50万部……。など、常に無謀ともいえる数々の計画を自ら描き、クリアし続けてき た。見城氏をこのようなリスキーな挑戦に駆り立てているものとは何なのか? 今回はそんな見城氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え 方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「ミリオンセラーを連発する出版社」幻冬舎の舵を取り仕切っている見城氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/27

「紅虎餃子房」「万豚記」「胡同四合坊」など、開業当時は風変わりに感じていた店名だが、今や全国区の繁盛レストランの代名詞となった。これらの飲食店を 経営しているのが、従業員数3000名を超える企業、際コーポレーションを率いるボスであり、飲食界の虎、中島武氏だ。現在、同社は中国料理、日本料理、 西洋料理など、85業態の飲食店、物販店を約300店舗展開中。「成功するかどうか、確かに球を投げてみないとわからないですけど、明らかに失敗するもの は球を投げる前に十分わかるんです」。私塾「中島塾」を開校し、レストランビジネスで独立を目指す若者たちへの指導も開始している。しかし、中島氏が飲食 ビジネスに本格参入したのは、1990年、彼が42歳のときだ。失われた10年と呼ばれる、1990年代に、レイトスターターの中島氏がこの帝国を築き上 げることができた裏側には何があったのか? 今回はそんな中島氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大い に語っていただいた。

今や全国区の繁盛レストランを経営する飲食会の虎、中島氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/27

ジャパネットたかた社長、高田明氏をイメージしたCGキャラクター、「ミスターJ」が登場する同社のコマーシャルが今日もテレビで流されていた。今やほぼ 毎日、なんらかのメディアで同社がさまざまな商品を通信販売するコンテンツを見ることができる。長崎県佐世保市を拠点とし、ジャパネットたかたが日本中の メディアに浸透していくまでの経緯と、その裏側にはどのような努力があったのだろう。高田氏は言う「商品の先にあるもの。それは感動だったり、楽しさだったり、人の生活を変えるもの。私はその感動をお客様に伝えていきたいのです」と。そのとおり、高田氏が商品にメッセージという魂を込めることで、無機質な 印象だった商品が生き物となる。インタビュー中に何度も高田氏は「信頼」「責任」という言葉を口にされた。その対象は、消費者はもちろん、取引先に、自社の社員に、そして地球環境までと幅広い。ジャパネットたかたが継続発展してこられた本質は、この「信頼」「責任」を守りとおしてきたことにあるのではない だろうか。今回は通販業界の風雲児とも呼ばれる高田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語ってい ただいた。

通販業界の風雲児、高田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/27

1980年に、電話1本、机2台、新宿のマンションオフィスで産声をあげたエイチ・アイ・エス。格安航空券の販売に始まった澤田秀雄氏の挑戦は、今や旅行 ビジネス、金融ビジネスに広がり、旅行グループ5000人、金融グループ5000人を抱える企業へと発展を遂げた。澤田氏はときあるごとに「人生は旅である」と語る。確かに、いくら細かな準備をしても未来を正確に予測することのできない私たち人間にとって、先の見えない自分の人生とはまさしく旅。前を向い て進むことでしか、人生という道は続いていかないのである。澤田氏の幼少から現在までにわたる人生の軌跡を聞いていると、まさに波乱万丈。山もあり険しい 谷もあるのだが、常に生来の陽転志向を武器に、乗り越えてきた。格安航空券のビジネス化、新航空会社の設立、金融ビジネスへの参画……彼の挑戦心をこれほ どまでに掻き立てるものとは何なのか? それは、「世界一の旅行会社をつくる」という彼の大きな夢と、「世界中の人を笑顔にしたい」という強い志の存在にある。それを自分がこの世に生まれた使命と決め、いつとも知れない夢と志の実現を目指して澤田氏の旅はこれからも続いていく。今回はそんな澤田氏に、青春 時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「人生は旅である」と語る大きな夢と強い志を抱き続ける澤田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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経営者

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InterviewWatch 登録日: 2015/05/28

困っている人と弁護士をインターネットでつなぐ「弁護士ドットコム」。決して平坦ではなかった上場までの道のりとは…

「弁護士ドットコム」を起業から8年間赤字で運営し、2015年に上場を果たすまでの経緯と元榮氏の志がわかるインタビュー

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

「現在の日本を代表するプロ野球選手は誰か?」。この質問に、筆者の私なら間違いなく「古田敦也選手」と答える。ちなみに、私は熱狂的なプロ野球ファンではない。しかし、古田氏が1998年に日本プロ野球選手会会長に就任してから選手の権利を守るために機構側と行ってきたさまざまな交渉、そしてまだ記憶に 新しいセ・パ両リーグ合併問題への抗議運動などなど。ゲームよりも、彼の球場外での活動に注目していた。プロ野球ファンでなくとも、古田氏が大きな権力と戦う姿に胸を打たれた方も多いのではないだろうか。インタビュー中、古田氏は「地域のために」「ファンのために」「大きく言えば、球界の未来のために」 と、誰かのために行動する自分の話をしてくれた。成功を果たしたベンチャー企業経営者も彼と同じように、「利他の精神」の大切さを説く方が多い。そういった意味で、古田氏が一プレイヤーという役割だけではなく、責任の重い選手会長を引き受けたり、昨年のシーズンから選手兼監督に就任した理由もわかる気がし てくる。今回は、経営者感覚を持ったプロ野球選手、古田敦也氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに 語っていただいた。

経営者感覚を持ったプロ野球選手、古田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

環境ライフスタイルマガジン『ソトコト』が売れている。「スローフード」「スローライフ」「ロハス」といった、快楽的エコライフの楽しみ方をいち早く日本マーケットで提唱してきたこの雑誌。ブレイクスルーとなったのは、環境博といわれた愛知万博だとか。以降、企業からの広告出稿は年々増加し、それに比例して読者数も急増。一般読者は女性比率が高いらしいが、企業や官公庁のいわゆる仕事読者層が年々数を増やしているという。  環境保護への対応が、国や企業の存続を左右するといわれているこの時代。やっぱり人間、地味や質素な生活で耐え忍ぶより、できることなら楽しいエコライ フを送りたい。そうした提案が私たち日本人のニーズにぴったりはまり、『ソトコト』は21世紀のムーブメントフラッグシップメディアのポジションを獲得したのである。 この雑誌を仕掛けたのが、マガジンハウス時代、『ブルータス』をはじめとする雑誌の名物編集者として数々の逸話を残してきた小黒一三氏。今回は、自身も快楽生活主義者を自任する小黒一三氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで、豪快にして軽妙洒脱に語っていた だいた。

『ブルータス』をはじめとする雑誌の名物編集者として数々の逸話を残してきた小黒氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

バルニバービとは、ジョナサン・スウィフトの小説『ガリヴァー旅行記』に登場する学士院の名前。ここでは、胡瓜から太陽光線を取り出す研究、人糞を食糧に 戻す研究、氷に熱を加えて火薬を作る研究、家を屋根から建てる施工法の研究、蜘蛛の巣で絹糸を作る研究などなど、常識を否定する不可解かつ不条理な研究と 実験がひたすら繰り返されるが、成果は皆無。自らの会社に、そんな名前を付け、飲食業界というフィールドで、常に新しい挑戦、実験を続けているのが、株式会社バルニバービ代表取締役の佐藤裕久氏だ。最初の実験は、1995年に大阪の南船場で行われた。人通りのほとんどない街の一角にたたずむ古いオフィスビ ルを改装し、パリのカフェに範を取ったブラッスリー「アマーク・ド・パラディ」をオープン。立地の悪さをものともせず、1年を待たずに大繁盛店に仕立てあげ、「カフェブームの仕掛け人」「人を呼び込む街をつくる男」などの異名がつけられるように。その後も、果敢な実験は続けられ、現在は関東、関西で20数 店舗の飲食店を展開中。今回は、そんな佐藤裕久氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただ いた。

「カフェブームの仕掛け人」「人を呼び込む街をつくる男」などの異名を持つ佐藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

必ず“結果を残す人”。あなたが一緒に働いている人たちを見渡せば、ひとりくらいはその該当者が見つかるのではないだろうか? その結果が問題だ。いい結果をもたらす人、悪い結果をもたらす人……。でも、考えてみてほしい。勝負事はすべてときの運。いいときもあれば、悪いときもあるのは当然だ。しかし、問題を目の前にしたとき、“できるかできないか思考の人”ではなく、常に“やるかやらないか思考の人”がカッコいい人と呼ばれていないだろうか。今回、お話を伺ったKLab代表の真田哲弥氏は、まさにそんな“結果を残す人”。小さな頃から、常に自分の中に生まれた志が指し示す方向に次の一歩を進めてきた。あまりにも素直に。ときには挫折もあった。ときには逃げたいと思う月日もあった。しかし、いつか必ず自分が君臨すべきポジションを信じて、挑戦し続けるファ イティングポーズは1日たりとて忘れなかった。そして、今、モバイルマーケットの中で、なくてはならない存在と呼ばれる企業をつくり上げた男。今回は、そんな真田哲弥氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

モバイルマーケットの中で、なくてはならない存在と呼ばれる企業をつくり上げた男、真田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

1997年8月に、愛媛県松山市で産声を上げたサイボウズは、高須賀宣氏が松下電工の仲間3人で立ち上げたベンチャー企業である。ユーザビリティを徹底的に追求したグループウエア「サイボウズOffice」は、狙い通り国内ホワイトカラー・ビジネスパーソンに受け入れられ、サイボウズも一気に急成長。設立3年後に東証マザーズへ上場。そして2002年3月、会社設立から4年7カ月の史上最短記録で東証2部に市場を変更。誰もがうらやむ、成功したベンチャー企業経営者のひとりとなった高須賀氏はしかし、サイボウズの成長のために日々奔走しながらも、打ち明けづらいひとつの悩みを抱えるようになる。世界のトップを目指したいのだ。しかし、その実現のためには自分を犠牲にする必要がある。そんな時、ひとつの新たなオポチュニティが目の前を通り過ぎた。このオポチュニティを逃すと、一生後悔することになる……。ノイローゼ寸前になるほど悩みはしたが、高須賀氏は新たな挑戦の道を歩む決断を下す。シリアル・アントレプレナー(何度も起業する経営者)の誕生である。そして今、高須賀氏は戦いのフィールドを最初から世界に定め、アメリカのオレゴン州ポートランドにLUNARR,Incを設立。指揮を振るっている。今回は、そんな高須賀宣氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

世界と戦う挑戦を選んだ男、高須賀氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

経常利益20%、自社で定めた顧客満足度数値2.50ポイント(3点満点)、NPOグリーン購入ネットワークが定めた環境負荷数値24.3ポイント(25点満点)。これがリゾートビジネス界のカリスマ、星野佳路氏が率いる「リゾート運営の達人」になるべく星野リゾートが企業として目指している3つの数値目標である。現場にどんどん裁量権を与えるフラットな組織体制。少人数で構成されたグループユニットの責任者であるディレクターは立候補と全スタッフの投票で決定。定例会議はアルバイト、パートタイマーまで参加可能という徹底した情報公開。「社員が主人公」を信念に置き、自社施設の経営はもちろん、経営破たんした大型リゾート施設、老舗温泉旅館などの再生・運営活動にも奔走している。これから星野氏が目指すもの。それは観光後進国といわれる日本を、世界に伍していける観光大国に引き上げることであるという。そして、今、彼がそのためのカギであると考えているツールが、「スキー」と「温泉旅館」だ。これからの星野氏の活躍に期待したい。今回はそんな星野氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

観光後進国といわれる日本を、世界に伍していける観光大国に引き上げることを目指す星野氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

高専時代からプログラミングのバイトを開始。卒業後、先輩のベンチャー立ち上げに参画し、取締役CTOに就任。これが最初の起業。その後、自分の会社を立 ち上げ、受託開発を続けるうちに、自らの力で新しい技術を開発したいという思いが強まる。2003年5月、「人と人・人と情報を結ぶインターフェイスとなる、便利で軽快な携帯電話向けアプリケーションを開発し、余剰時間の創出に貢献する」ことを企業理念とし、jig.jpを起業。28歳にして3社の起業に関わった、シリアルアントレプレナーである。福野氏曰く、「自分が本当にやりたいことを求めてきた結果、理想的な会社になりつつあります」と語る。個人的な夢は福井県鯖江市を日本のシリコンバレーとして育てること。そして、会社としての目標は、グーグルの技術力、アップルのデザイン力、そして、マイクロソフトのシェアを抜き去ること。今回は、そんな福野泰介氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

鯖江市を日本のシリコンバレーにするべく、日夜、現地でスタッフたちとともに、開発を続けている福野氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

1975年、東京都生まれ。小学校からは、神奈川県平塚市へ。小学生時代に、バイオリンとピアノを習い始める。中学から本格的にバンド活動をスタート。国産ロックから洋楽、そして、ファンク、フュージョン、ジャズへと趣味の範囲は広がっていく。ちなみに、担当パートは一貫してドラムである。高校時代は、ライブハウスでの演奏も始めている。この頃、坂本龍一、小林武史など、音楽活動を続けながら、会社も経営するという生き方に興味を覚える。将来の起業に役立つ勉強ができる大学を探し、多摩大学経営情報学部に進学。バンド活動を続けながら、デモテープをつくり、レーベルへの売り込みも開始。某新規レーベルとの契約の話が持ち上がるも、会社都合でその話は立ち消えに。この経験から、自分で決めたスタンスで、音楽活動ができる道を真剣に模索し始めた。金融の仕組みを学ぶため、投資信託会社でアルバイトを開始。ここで、アーティストを支援するための「音楽ファンド」のビジネスアイデアを思いつく。大学卒業後、就職をせず、2000年12月にミュージックセキュリティーズ合資会社を設立。2002年、株式会社へ組織変更。2006年7月現在までに、43のファンドを組成、約100枚のCDをリリースしている。

アーティストを支援するための「音楽ファンド」合資会社ミュージックセキュリティーズを設立した小松氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

 ダイヤモンドダイニング。競合ひしめく外食業界の中で、いつまでも輝きを失わないように。そんな思いがこの社名に込められている。同社のこだわり。売上でもなく、利益でもなく、店舗数でもなく、目指すは業態開発ナンバーワン。そのとおり、現在まで53店舗を開業してきたが、同じ店がひとつとしてないのだ。1号店である、「21世紀によみがえったドラキュラ伯爵の館~VAMPIRECAFE」ほか、「幻想の国のアリス」「竹取百物語」「黒提灯」「三年ぶた蔵」「ベルサイユの豚」「九州黒男児」「CANDY」などなど、ユニークな店名も、物語性ある店内の雰囲気も、提供する厳選されたメニューも、すべて異なるレストランを展開し続けてきた。そしてなんと、今後3年で「100店舗100業態」を達成する目標だという。ダイヤモンドダイニングは2007年3月、大証ヘラクレス市場に上場を果たした。これまでの飲食店チェーン展開の常識を覆した経営手法で、業界の異端児として各界から注目を集めている若き経営者、松村厚久氏。今回は、そんな松村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

今後3年で「100店舗100業態」を達成する目標だという松村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

 ロッテとの業務提携による「ロッテリア」の再生。新宿南口で行列の絶えない人気ドーナツショップ「クリスピー・クリーム・ドーナツ」、日本再上陸を果たした「バーガーキング」の立ち上げ。これらのビジネスに、玉塚元一氏率いる「リヴァンプ」が出資を行ったうえで、経営支援策を提案し、実施している。玉塚氏は、旭硝子勤務時代に留学したアメリカで、「将来、日本の経営人材が枯渇する時代が来る」と確信したという。その後、ファーストリテイリングでリテールビジネスと、柳井正氏直伝の経営哲学を学び、独立。会社を芯から元気にするためのプロフェッショナルファーム「リヴァンプ」を立ち上げた。現在、約60人のプロ経営人材が「リヴァンプ」に集い、日夜、様々なクライアント企業の業績アップ、社内のモチベーションアップのために走り続けている。10年前、玉塚氏がアメリカで確信した日本の将来リスクを解消するための挑戦=起業といえよう。今回は、そんな玉塚氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

会社を芯から元気にするためのプロフェッショナルファーム「リヴァンプ」を立ち上げた玉塚氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

「一般のご家庭での豊かな食生活の実現」を企業理念とする、オイシックス株式会社。同社が展開する、有機野菜、無添加などの安全食品の宅配、感動食品専門スーパー「Oisix(おいしっくす)」に、今すぐインターネットを使ってアクセスしてみてほしい。様々な食材のネーミングや、食材のストーリーを眺めるだけでも楽しいから。常時1570品目、を超える安全でおいしい魅力的な食材がラインナップされており、これまでに約30万人のユーザーがここで商品を購入しているという。7年前、このサイトを立ち上げたリーダーがオイシックスの代表取締役社長、高島宏平氏。食材マーケットを全く知らなかった彼らの挑戦は、徒手空拳、そして暗中模索。当然、平坦な道などなかったといえる。しかし、創業時に掲げた企業理念をいっさいぶらさず、ここまで愚直に一歩一歩、前進、成長を続けてきた。高島氏は言う。「“Oisix”を、世の中になくてはならないインフラとして育てていきたい」と。今回は、そんな高島氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

創業時から「一般のご家庭での豊かな食生活の実現」を企業理念に掲げるオイシックス株式会社、代表取締役社長高島氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

親が子を虐待、子が親を殺傷……。ここ数年、様々なメディアから、親子の悲鳴ともいえる悲しい報道が次々に流れてくる。そして子を持つ親は、誰もが、そんなニュースを耳にして心を痛めている。これらの悲しい事件の原因となっているものとはなんだろう。それは、家庭を切り盛りする母親のストレスだったり、両 親間の情報不足であったり、いずれにせよ大人の余裕のなさが、その元凶をつくっているのではないだろうか。スキップキッズは、子連れの主婦が気軽に訪れることができる「親子カフェ」。この場所には、親子の思いきり明るい笑顔がたくさんあふれている。そして、これまで存在していなかった、「親子カフェ」マーケットを創出したのが、スキップキッズ代表の藤代聡氏である。彼もまた、妻と3人の子どもをもつ父親だ。そんな彼が、家庭の中でのあるきっかけから思いついたのが現在の事業。「ささやかかもしれないが、親子カフェがあれば、世の中から悲しい事件を減少させる、社会貢献ができるかもしれない」と。今回は、そんな藤代氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

これまで存在していなかった「親子カフェ」マーケットを創出した、スキップキッズ代表の藤代氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

1990年代後半、日本のゴルフ場の多くが預託金の返還問題で危機に瀕していた。そして、それまでは常識と考えられていた会員権のストックビジネスは崩壊し、ゴルフ場運営のビジネスモデルは大転換を迫られたのである。最悪ともいわれたこのマーケットに、チャンスを見出した男がいた。それが石坂信也氏。彼は三菱商事時代、社費留学したハーバード・ビジネススクールで「日本のゴルフマーケット再生」という研究論文をしたためていた。まさにそれを実現すべき時が、やってきたと踏んだのだ。そして、2000年5月、インターネットでゴルフのワンストップ・サービス「買う・行く・観る・つながる」を展開する、GDOを設立。リスクを最小限に抑えるマネジメントスタイルを徹底し、右肩上がりの成長を実現。2004年4月、同社を東証マザーズに上場させた。 「将来は日本の環境資源を最大価値に高めるために貢献し、次世代の子どもたちに豊かな日本を引き継ぎたい」と語る。今回は、そんな石坂氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

最悪ともいわれたマーケットにチャンスを見出した男、石坂氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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人生

InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

日本のアニメは世界に誇る映像文化である。これは多くの人が納得できる話。10年以上前に、放送、通信、ITの融合によるメディアコンバージョンの世界を 予測し、アニメの3DCG化、および、さらなるアニメ文化のグローバル化推進を企てた男がいる。それが、GDHグループを率いる、石川真一郎氏。そして今日も、GDHはアニメーションとオンラインゲームマーケットを主軸とし、世界一のリーディングカンパニーを目指し躍進を続けている。今年初頭、アメリカの一大CATV網「スパイクTV」で放送され、DVD販売も10万本を超えたヒット作、「アフロサムライ」が、今秋日本で劇場公開されるという。これは有名俳優、サミュエル・L・ジャクソンを主演声優に迎えた、大型プロジェクトだ。「今、アフロサムライの公開が待ち遠しくて仕方ないんです」と笑顔で答えてくれた石川氏。今回は、そんな石川氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

世界一のリーディングカンパニーを目指し躍進を続けている株式会社GDH代表取締役社長/CEO 石川氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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税理士

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ビジネスモデル

InterviewWatch 登録日: 2015/06/05

東洋経済オンライン

インタビュイー:太田和伸
インタビュアー:小佐野カゲトシ

創業から17年。鉄道模型店として例のない規模を誇るまでに成長した「ポポンデッタ」とはいったいどんな会社なのか。

税理士が創業した鉄道模型店。売り上げはなんと15億円を超える。太田氏がこのビジネスに参入した経緯と、成功までのプロセスを語った。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

2035年に、日本国民の3人に1人が65歳になるといわれている。今さらいうまでもないが、日本は高齢社会に向かってまっしぐら。このマーケットにチャ ンスを見出して、事業展開している企業は星の数。エス・エム・エスの代表を務める諸藤周平氏は、大学時代に介護保険法が施行されることを知り、起業を考え 始めた。そして2社の会社勤務を経験し、起業。事業領域は、「介護」「医療」「アクティブシニア」。これら3つのマーケットで事業展開する組織と、同マー ケットで働く人たちのマッチングが現在の主力事業である。設立5年目の現在、インターネットを活用した13のメディアがすでに稼働中。これからも様々な新規事業がラインナップされていく計画だという。同社が目指しているのが、高齢社会に適した情報インフラ構築。ベンチャーらしいスピード感を保ちつつ、事業 の永続性を考えながら慎重に歩みを進めている。今回は、そんな諸藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで 大いに語っていただいた。

高齢社会に適した情報インフラ構築を目指す諸藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

各種スポーツ、社交ダンス、お祭りなど、様々なイベント主催者と提携し、参加者の「最高の笑顔」「人生における大切な一瞬」をプロのフォトグラファーが撮 影。「感動をカタチにしてすべての人へ」という企業理念のもと、私たちがこれまで手にできなかった貴重な写真を届けてくれる会社がある。2002年1月に 設立され、当該サービスを開始したフォトクリエイト。今では年間5000件を超えるイベントにプロのフォトグラファーを派遣し、提供する写真も2000万 カットを超えている。この会社を起業した男が、白砂晃氏。もちろんここまでの道のりは、平坦なものではなかった。人と出会い、失敗を学び、果敢に挑戦しな がら、成長を遂げてきた。事業モデルはもちろん、白砂氏の挑戦の軌跡は世の中から注目され、優れた起業家を表彰する「第1回 DREAM GATE AWARD 2007」を受賞、「EOY JAPAN 2007」のセミファイナリストにも選出された。今回は、そんな白砂氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートま で大いに語っていただいた。

「感動をカタチにしてすべての人へ」という企業理念のもと、これまで手にできなかった貴重な写真を届けてくれる会社「株式会社フォトクリエイト」代表である白砂氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

安く買い叩かれているのでは? 高く売りつけられているのでは? 一昔前までの、中古車販売業者はうさんくさいというイメージが付きまとっていた。この部 分にメスを入れ、業界のイメージアップに貢献し、一般消費者が安心して中古車の売買ができる世の中をつくった男がいる。それがガリバーインターナショナル の代表取締役社長・羽鳥兼市氏だ。買取専門店のパイオニアとして誕生した同社は、買い取った車の展示販売はいっさい行わず、オークション会場に売却すると いう独自のビジネスモデルを確立させ、また、インターネットを利用した車販売システム「ドルフィネット」を武器として、急成長を遂げる。そんな羽鳥氏の 54歳からの挑戦は、市場から大きな支持を得て、10年を待たずして東証1部市場に上場を果たした。ガリバーインターナショナル創業以前、羽鳥氏は詐欺に よる事業倒産を経験している。どん底から反撃の狼煙を上げたのだ。今回は、そんな羽鳥氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そし てプライベートまで大いに語っていただいた。

買取専門店のパイオニアとして誕生したガリバーインターナショナルの代表取締役社長 羽鳥氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

インターネットが我々の生活を格段に便利にしてくれたことは間違いない。しかし、ネットの世界には数え切れないほど、多種多様なホームページが存在してい る。その中からユーザーに選ばれること自体、ものすごい確率の偶然といえる。今回、お話をお聞きした兼元謙任氏が立ち上げたQ&Aサイト 「OKWave」は、現在会員数約100万人、月間ユニークユーザー数約1000万人、そして1日当たり2万件のQ&Aがやり取りされているとい う。「当社の取り組みによって、ありがとうの連鎖が広がれば、世界からきっと戦争なんてなくなります」と笑う兼元氏だが、ここまでたどり着くまでの道のり は、まさに筆舌に尽くしがたい苦難の連続だった。少年時代の壮絶ないじめによる入院生活、仲間からの裏切り、妻との離婚危機……、そして2年にわたるホー ムレス生活……。しかし、数多くの弱者としての経験が、兼元氏にこの事業アイデアをもたらしてくれたのだ。今回は、そんな兼元氏に、青春時代からこれまで に至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

現在会員数約100万人のQ&Aサイト 「OKWave」の設立者 兼元氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

商品企画力、マーケティング力、ファブレスメーカーとしての工場ネットワーク、そして六本木ミッドタウンなど人気の商業施設に入居するショップという販売 拠点……。プロダクトデザイナーが待ち望んでいたプラットフォームを有する会社がある。それがイデアインターナショナル。同社を牽引する経営者、橋本雅治 氏は言う。「ものづくりをとおして、ひとりでも多くの人を幸せにしたい」。それが、同社の掲げる経営理念「人間至上主義経営」という言葉にも表れている。 人々が幸せを感じる様々なライフスタイルデザイン・プロダクトを次々に創出する一方、豊かでないイタリアのハーブ農家、発展途上国を支援するフェアトレー ドを手がける組織などなど、デザインという概念を武器に様々な社会貢献活動に参画。同社が展開しているすべての事業の根本に、「人助け」というやさしさが 隠されているのだ。今回は、そんな橋本氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「人間至上主義経営」を経営理念に掲げるイデアインターナショナル代表取締役社長 橋本氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

「DEVILOCK」「XLARGE」などといった若者に大人気のストリート系アパレルブランドを始め、ユナイテッドアローズ、ビームス、シップス、など の人気セレクトショップなど、約680のブランドがインターネット上に存在するリゾート「ZOZORESORT」に出店している。なぜ、これほど多くのア パレルブランド企業が、このオンラインリゾートに注目しているのか。このオンラインリゾートをつくり上げたのが、株式会社スタートトゥデイ代表の前澤友作 氏。10代から音楽活動を始め、メジャーデビューを果たした。その過程で、レコード・CDのカタログ通販ビジネスを開始し、そのコンセプトが 「ZOZORESORT」の原型となっている。音楽が好きな自分が、好きな音楽をユーザーに届ける。ファッションが大好きな自分たちが、大好きな服をユー ザーに届ける。「自分たちの好きなものを好きと言ってくれる人に届ける」という、原理原則は「ZOZORESORT」のコンセプトとして今もしっかりと受 け継がれているのだ。今回は、スタートトゥデイのボスである前澤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大 いに語っていただいた。

“想像”と“創造”の交 わる街「ZOZOTOWN」をオープンした前澤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

誰かが必要ないと判断した物を適正価格で買い取り、ほしいという人に適正価格で販売する。いわゆるリサイクルショップのビジネスモデルだが、野坂英吾氏は 言う、「当社は、不用品に新しい命を吹き込んで、世の中に再び送り出していく工場なのです」と。ゆえに、社名は「トレジャーファクトリー=宝物の工場」。 今から13年前、一般的なリサイクルショップの店舗面積が20坪平均だった時代、23歳の野坂氏はなんと、150坪もの超大型リサイクルショップをオープ ンさせた。周囲の誰もが、「失敗する」「止めておけ」と反対を唱えた。しかし、野坂氏は自らが足を使ってリサーチしたことで得た、成功への確固たる自信を 疑わなかった。結果、第1号店は順調に成長し、大きなピンチを潜り抜けながらも、昨年、会社は東証マザーズに上場。「ここまでたどり着けたのは、転がって くるチャンスを着実に自分のものにしてきたからでしょうか」と笑う。今回は、そんな野坂氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そ してプライベートまで大いに語っていただいた。

「不用品に新しい命を吹き込んで、世の中に再び送り出していく工場」ゆえに、社名は「トレジャーファクトリー=宝物の工場」設立者野坂氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

優秀な社員を採用し、高業績の会社をつくりたい。と、世のすべての経営者が考えている。高い給料、権限のあるポストを社員に提供すればそれが実現した、そ んな時代はもう過去のこと。人材流動化が進む現在、自己成長できる実感、仕事の社会的意義、社内の一体感など、目には見えない何らかのメリットがないと、 会社に人が集まらず、また入社したとしてもすぐに見切りをつけられてしまう。しかし、経営者やリーダーはその糸口を見つけられず、会社の成長が鈍化してい く……。目に見えない何かとは“モチベーション”の欠如に原因がある。そのことを誰よりも早く看破し、リンクアンドモチベーションを立ち上げたのが、リクルート出身の小笹芳央氏だ。個人のモチベーションに焦点を当て、組織の活性化を実現し、着実に成果を挙げていく“モチベーションエンジニアリング”という 独自の手法を用いた経営コンサルティングで、2000年4月の創立以来、約1700社のコンサルティングを手がけてきた。今回は、そんな小笹氏に、青春時 代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

個人のモチベーションに焦点を当て、組織の活性化を実現し、着実に成果を挙げていく“モチベーションエンジニアリング”という 独自の手法を用いたリンクアンドモチベーションの設立者小笹氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

立ったままの会議、開発ミーティングをポッドキャスティングで配信、サービスを50%の完成度でリリース、座席はフリーアドレス化、開発合宿や合宿用の出張オフィスを取り入れる、お昼にオフィスで手づくりカレーが提供される、冷蔵庫にはビール、社員の大半が自転車通勤などなど……、普通の会社ではありえな いような経営スタイルを貫いている「へんな会社」。それが、近藤淳也氏が代表を務める、株式会社はてなだ。京都大学大学院時代1年間自転車レーサーとして 活動、大学院を自主退学しプロカメラマンに、その後、誰もが「それは成り立たない」と口をそろえた、「有料人力検索サイトはてな」の仕組みをもって起業家へ転身。そもそも、近藤氏自身がたどってきた経歴も普通の人から見ればちょっと変である。しかし、幾多の試練を乗り越えながら、はてなのサービスは堅調に 増殖を続け、それに呼応する形で「はてなファン」もどんどん増え続けている。今回は、そんな「へんな会社」を率いる近藤氏に、青春時代からこれまでに至る 経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

普通の会社ではありえな いような経営スタイルを貫いている「へんな会社」を率いる近藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/09

まさに紙と鉛筆だけ。経験もノウハウもまったくないまま、夫婦ふたりでまったくのゼロから始めたフリーペーパー発行事業。今から24年前の1984年8 月、千葉県八千代市にある4畳半の自宅で産声を上げた地域新聞社が、昨年10月にヘラクレス市場に新規上場を果たした。創刊号はB4用紙1枚の裏表でモノ クロ版、配布部数は2万2000部だった。そこから幾多の苦難を乗り越えて、今では配布エリア49版、総配布部数約170万部を誇る地域密着型新聞社とし て成長を続けている。同社の代表を務める近間之文社長は言う。「徹底した地域密着型営業を継続したことと、宅配制度の充実が当社をここまで成長できた理 由。もうひとつ、“人の役に立つ”という企業理念を何よりも大切にしてきたことです」。そして今、地域新聞社は2000万世帯への配布実現を目標に、世界 一の新聞社になることを本気で目指している。今回は、そんな近間氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大 いに語っていただいた。

“人の役に立つ”という企業理念を何よりも大切にしてきた地域新聞社代表取締役社長近間氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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ビジネスモデル

InterviewWatch 登録日: 2015/06/22

-株式会社気仙沼ニッティングとは、どんな会社でしょうか?宮城県の沿岸部に位置する気仙沼を拠点として、お客さまに手編みの商品をお届けする会社です。東日本大震災後の東北で、一時的な支援が去ったあとも、ずっと地元に根づいて、続いていく会社をつくりたいと思ってはじめました。はたらく人が「誇り」を持つことができ、きちんと収益を上げることで自立して続いていくことができる、そういう会社にしたいと思っています。

15万円もするニットが売れる。東日本の被災地のひとつ、気仙沼でニッメーカーを立ち上げた御手洗さん。彼女の、活動と、そんな生き方を醸成したこれまでの人生を振り返ったインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/06/30

少子化の影響もあり、今や生き馬の目を抜く熾烈な競争が繰り広げられているウエディングマーケット。時代の流れとともに、専門式場、ホテル、レストラン、ゲストハウスと、結婚披露宴を行う場所も多様化してきた。浅田剛治氏が率いるノバレーゼが産声を上げたのは2000年。ゲストハウスウエディングという言葉があまり知られていない頃から、このウエディングスタイルに着目した経営を続けてきた。そして現在も、モダン建築の都市型ゲストハウス「モノリスタイプ」と、リゾート感覚の郊外型ゲストハウス「アマンダンタイプ」を二本柱とし、毎年約30%の売り上げ拡大を継続している。業績好調の要因を浅田氏に聞くと、「徹底した顧客志向、そして人材こそ命。この経営スタイルを続けているだけです」と言う。しかし、浅田氏が語るこの言葉の裏側には、幾多の試練、挫折、挑戦の奇跡が隠されていた。後進を育て、45歳で引退するという計画を立てている浅田氏、今回はそんな彼に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

45歳で引退するという計画を立てている浅田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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人生

InterviewWatch 登録日: 2015/06/30

旧NTTが独占してきた電話機販売を自由化し、長距離通話から始め様々な電話料金を引き下げ、高品質かつ番号そのままのIP電話を開発するなど、主に中小 企業にとって「待ってました!」のサービスを開拓、提供し続けてきた株式会社フォーバル。創業当時の社名は新日本工販。この会社を28年前に立ち上げ、今日まで成長させ続けてきた男。それがベンチャー業界のカリスマ、大久保秀夫氏である。日夜クライアントのために今何ができるのかを考え、学び、旧態依然とした規制や常識をものともせず、常に「新しいあたりまえ」創造のために走り続けてきた。少し照れながら自身を「いつまでも満足できない欲深い人間」と称するが、彼のこの思いこそがフォーバル成長の原動力となっているのは間違いない。今回は、そんな大久保氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日夜クライアントのために今何ができるのかを考え、学び、旧態依然とした規制や常識をものともせず、常に「新しいあたりまえ」創造のために走り続けてきた大久保氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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仕事スタイル

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InterviewWatch 登録日: 2015/07/15

第37回 株式会社星野リゾート 代表取締役社長 星野佳路 Yoshiharu Hoshino 1960年、長野県生まれ。軽井沢町の老舗旅館、星野温泉の四代目として生を受ける。中学から慶応で、大学卒業までずっとアイスホッケーを続ける。慶応義 塾大学経済学部を卒業後、米国コーネル大学ホテル経営大学院修士課程修了後、日本航空開発(現・JALホテルズ)に入社。シカゴにて2年間、新ホテルの開 発

経営者

起業

InterviewWatch 登録日: 2015/07/15

ゲーテに登場した最先端の男たちによる名言集

起業

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InterviewWatch 登録日: 2015/08/11

今では誰でも当たり前と思えることでも、それを最初に世の中に広めるために行動した人物が必ずいる。もちろん何かを発信したいと思っても、「そんなものはうまくいくはずがない」と人に言われ、あきらめてしまう人も多い。1972年に産声を上げた情報誌『Weeklyぴあ』(当時は月刊ぴあ)、1984年に運営を開始したチケット販売システム「チケットぴあ」は、私たちがレジャー・エンタテインメント情報を手に入れるための煩雑さと時間をいっきに軽減してくれた。これらの新しい仕組みを考案し、かたちとして世の中に送り出したのが、ぴあ株式会社の矢内廣社長である。1972年の創刊当時、矢内氏はまだ22歳の大学生だった。もちろんその頃に、学生ベンチャーなどという言葉は存在していない。「自分自身が便利になるものだから、もっとたくさんの人に使ってほしいと思ったんです。もちろん軌道に乗せるまでは試行錯誤の連続でしたが、多くの方々の協力があったからこそ『ぴあ』は日の目を見ることができたのです」と語る矢内氏。今回は、学生ベンチャーのパイオニア的存在である矢内氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

学生ベンチャーのパイオニア的存在である矢内氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/08/11

渡航費用を除き、2週間、たったの8万9800円で行ける英語留学があると聞いたらどうだろう。入学金、授業料は当然だが、なんと滞在費、食事なども含まれているのだ。このサービスが人気を呼び、今年は5000人もの留学生受け入れを予定している。元・英国領のフィジー諸島共和国で、そんな格安留学が実現する語学学校を運営しているのが、South Pacific Free Bird 株式会社。同社代表の谷口浩氏は、あるきっかけで訪れたフィジーで、深刻な少子化問題を目の当たりにした。学校には空き教室が拡大し、先生の雇用もままならない…。空き学校を有効活用でき、先生を雇用し、ホームステイ受け入れ先の家庭には対価を支払える。フィジー経済に貢献しながら、しかも欧米諸国の3分の1程度の費用で、英語留学を実現できる。この三方も四方も潤うビジネスが成功しないはずがないと考え、二度目の起業を果たしたのだという。谷口氏は言う。「将来的には、高等学校、大学の設立も視野に入れています」(高校設立についてはフィジー政府に申請済み)。今回は、そんな谷口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

欧米諸国の3分の1程度の費用で、英語留学を実現できる。そんな事業を一目惚れしたフィジーにて起業した谷口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/08/11

東京大学にほど近い文京区・本郷のちょっとした高台に、チームラボのオフィスがある。ここで、約150名の若きエンジニア、デザイナーたちが「技術と文化 の融合による日本再生」を目的に、日夜、活動を続けている。このチームを率いるのが、長身、ひげ面のこれまた若きカリスマ経営者、猪子寿之氏である。純国 産“オモロ”検索エンジン「SAGOOL(サグール)」、産経新聞社のニュースサイト「iza(イザ!)」など、これまで斬新なWebサイトを次々に開発、また昨今では携帯電話のデザインも手がけているという。今回は、そんな猪子氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「技術と文化 の融合による日本再生」を目的に掲げたチームを率いる若きカリスマ経営者、猪子氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/08/11

家業の倒産により、一家離散。強硬な債権回収が始まる。裕福な家庭事情は暗転し、いきなりどん底生活へ突入。そんな家庭に生まれ育った少年は、勉強とス ポーツを武器に、自分を外部からの攻撃から守り続けた。青春時代、高校をすぐに辞め、やんちゃもしたが、18歳の夏、あるきっかけから、社長を目指していた幼き頃の夢を思い出した。最初に就職した会社で、組織運営の“いろは”を吸収した後に退職。起業を決意し向かった先は、父が事業を失敗させた、自身の生まれ故郷でもある山口県・宇部市。底辺からのスタートすることを自分で決め、足場組みの個人事業主から、上場企業経営者へと自分自身を成長させたのが、株式会社エムビーエスの代表取締役、山本貴士氏である。ロック界の“成りあがり”代表が矢沢永吉氏なら、山本氏はビジネス界のそれといえよう。今回は、そんな山本氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

足場組みの個人事業主から、上場企業経営者へと自分自身を成長させた山本氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/08/11

甲子園球児となった18歳の少年は、地元のお堅い金融機関へ就職。その後、いくつもの「職」を転々とし、最後にたどり着いたのが「食」を扱う事業の起業 だった。雇われ仕事、下請け仕事を続けながら、金に追われる生活に疲れた32歳、元・甲子園球児の村上勝照氏にそのチャンスは訪れた。「誰も手がけていない、世の人々が喜ぶ仕事がしたい」。そんな村上氏の利他の精神に、ビジネスの神様が手を差し伸べたのだ。「この男ならきっと、志を達成してくれるだろう」と。そのとおり、彼が立ち上げた「フーズインフォマート」は、紆余曲折を経ながらも、売り手、買い手が支えるフード業界から受け入れられ、現在も成長を続けている。しかし、村上氏はさらりと言う。「まだまだ志の道半ばもきていませんよ」。今回は、そんな村上氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

売り手、買い手が支えるフード業界から受け入れられ、現在も成長を続けている「フーズインフォマート」設立者 村上氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

ヨーロッパでエンジンが誕生して125年。その生産方法はそれほど進化していないという。大資本が独占しているエンジン関連市場の中、新しいエンジンのあ り方を研究・開発しているベンチャー企業の本社が山形市にある。大手企業にはできない柔軟な発想、協力者をひきつける志と行動力で、世界が振り向く高性能エンジンを本当に開発してしまった男。それが、株式会社ワイ・ジー・ケーの山崎正弘氏である。夢の始まりは、小学校の卒業文集に見て取れる。「大きくなったら自動車をつくる人になる」。幼心で抱いた小さな夢が、40年という長い道のりをかけて、この時代に叶えられようとしている。気高くも美しい蝶「オオムラサキ」が同社のエンジンに付けられたエンブレムだ。このエンブレムが世界中に羽ばたく日は近い。今回は、そんな山崎氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

協力者をひきつける志と行動力で、世界が振り向く高性能エンジンを本当に開発してしまった男 株式会社ワイ・ジー・ケーの山崎氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

サッカー好きの読者には、もう説明の必要はないだろう。Jリーグ、アルビレックス新潟の成功は、日本のスポーツ界全体に衝撃を与えた。中堅地方都市でもプロスポーツチームの参画・運営と、地域密着型ビジネスが成り立つ事を証明したからである。その立役者として数々のメディアで引っ張りだこになったのが、現 在も神社の宮司であり、様々な教育事業と医療福祉事業を新潟を中心に展開しているNSGグループの総帥、池田弘氏である。池田氏は27歳で神職と事業経営者、二足のわらじの人生をスタートさせている。その時にはすでに、新潟を世界一の街に発展させるという壮大な夢があった。「自分が生きているうちに、その夢が叶うといいのですが」と、池田氏は謙遜しながら笑う。今回は、そんな池田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

現在も神社の宮司であり、様々な教育事業と医療福祉事業を新潟を中心に展開しているNSGグループの総帥、池田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

終戦間もない1951年に生まれ、アメリカの生活文化が押し寄せ始めた時代に多感な時期を過ごした設楽少年。男の子なら誰もが「女の子にモテたい」と胸を 焦がす青春期、設楽氏もなかばそのことをきっかけにファッション、音楽、スポーツに傾倒していった。そして、学生時代。米軍キャンプで、いつかアメリカのテレビドラマを見て憧れた、芝生のある白い家を垣間見る。そこにあった若者の生活文化を飾る品々を「手に入れたい」と願うも、どこにも売っていなかった。そこが原点となり、電通に勤務の傍ら「洋服ではなく、ライフスタイルを売る」ビームスを開業。以来、変化の極めて激しいファッションの世界にあって、32年間成長を続けるという奇跡的な存在となる。「規模の拡大と、相反する陳腐化を防ぐことをどうバランスさせるか。今でもジレンマを感じています」という設楽氏に、感度豊かな自分自身を育んだ青春時代から、経営の要点までを大いに語っていただいた。

変化の極めて激しいファッションの世界にあって、32年間成長を続けるという奇跡的な存在 ビームス設立者 設楽氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

世界的に人材の流動化のスピードは速まっている。それにともなって、日本でもフリーランサーとして活躍する人は増えているが、彼・彼女たちの労働環境、生活環境はまだまだ未整備であり、いまだ不安定なものといわざるを得ない。そんなフリーランサーたちの弱い立場を守ることを目的に、仕事の発注元となるクラ イアント企業とフリーランサーの中間に立って、エージェンシー活動を展開しているのがクリーク・アンド・リバー社。29歳で同社を立ち上げたのが、映像メディアを中心とした元フリーディレクターだった井川幸広氏だ。自らフリーランサーとしての経験を有し、活動経験の中で培ってきた信念のもと、“商売抜き”でこのマーケットづくりに心血を注いできた。「映画づくりも事業経営も、“良いものづくり”という意味では一緒だと思うんです。お客さんから返ってくるのが拍手か、利益か、それだけの違い」と、語る井川氏。今回は、そんな井川氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

仕事の発注元となるクラ イアント企業とフリーランサーの中間に立ち、エージェンシー活動を展開しているクリーク・アンド・リバー社 井川氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

1967年、義兄の紹介でしぶしぶ始めたお好み焼き店の経営。その偶然のきっかけと決断が、6年後1973年、「千房」のスタートにつながった。そして今年の12月、「千房」は35周年を迎える。今や、国内、海外のハワイに店舗網は広がり、60店舗を経営するまでに成長を遂げた。創業から今日まで、一番頭を悩ませているのは人材採用だった。学歴、成績、身元引受人いっさい問わず。来る者拒まず、去るもの追わず。だが、いったん引き受けることを決めたら、家族のごとく絶対に見捨てず大切に育てるのだという。「ひとりひとりを見て、悪い子ほどえこひいき。小さな目標を与え、できれば思い切り褒める。人間、過去を変えることはできませんが、未来は変えることができるんです」。誰もが見捨てた非行少年・少女も、氏の手にかかれば立派な“人財”となるのだ。一大飲食店チェーンの総帥でありながら、人材教育のプロとして全国から講演の誘いが引きもきらない。今回は、そんな中井氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

一大飲食店チェーンの総帥でありながら、人材教育のプロとして全国から講演の誘いが引きもきらない中川氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

1989年に、バイシクル・メッセンジャー(自転車便)事業を立ち上げた池谷貴行氏。大学時代に、数え切れないくらいの業種でバイトを経験し、常に「俺な らこうする。こうすればもっとお客さまから喜ばれる」と考えながら仕事を続けていたという。この事業を思いついたきっかけは、外資系PR会社で経験したメッセンジャーボーイのアルバイト活動にある。ちなみに、自転車を使ってやってみようと思ったのは、電車やバスを使うより早い、交通費を浮かすことができるというふたつの不適切な理由からだったのだそう。その後、独立し、彼が立ち上げた東京メッセンジャー・サービス(後のティーサーブ)は試行錯誤を続けながらも順調に成長を続け、バイシクル・メッセンジャーというカルチャーを日本に定着させることに成功した。今回は、そんな池谷氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

バイシクル・メッセンジャーというカルチャーを日本に定着させることに成功した池谷氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

1970年、入社2年目、23歳の石橋博良氏が下した決断が、結果として15名の船乗りの命を奪うことに。この事件を契機に、大手総合商社の社長を目指していた石橋氏は、船乗りの命を守るため、米国の海洋気象会社オーシャンルーツ社に転職。1986年、同社の陸上、航空部門をMBOし、独立。ウェザーニューズを設立。その後、気象庁との衝突など、様々なハードルを乗り越えながら現在、同社は世界最大の気象情報会社として、世界最高品質の気象コンテンツサービスを提供し続けている。奥様手づくりのネクタイをキリリと締めた石橋氏は言う。「ここまで来られたのも、他者のために役立てる仕事に出会えたこと。素晴らしい仲間に巡り会えたこと。これに尽きると思います」。今回は、そんな石橋氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

世界最大の気象情報会社として、世界最高品質の気象コンテンツサービスを提供し続けている石橋氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

“女性が憧れる職業を答えなさい”。この質問の答えとして、多くの人が「女子アナウンサー」を挙げるのではないだろうか。そんな花形職業、フジテレビの女子アナのポジションを自ら捨て、起業家としての転身を図ったのが、株式会社ノンストレスの経営者・坂野尚子さんである。特派員として2年暮らしたューヨー クで、人生選択の自由さを実感した坂野さんは、まずはMBAの取得を決意し、惜しまれながらフジテレビを退職。「欲張りだから、育児も起業もやり遂げたかったんです」と笑う坂野さん。その言葉どおり、MBA取得し、結婚、出産を経た後、人材ビジネスで最初の起業。そして、自らの感動体験を盛り込んだ、ストレス・マネジメント・ビジネスで第二の起業。確かに、人生をどこまでも満喫するために疾走を続ける、ある意味とても欲張りな女性といえよう。今回は、そんな坂野さんに、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

自らの感動体験を盛り込んだ、ストレス・マネジメント・ビジネス設立者 坂野氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

理美容業界で彼の名を知らない人はいないだろう。教職に就くことを夢見ていた若者が、目の前に訪れるさまざまな縁を取り込みながら、なぜか31歳で自分の 美容室をオープンすることに。美容師免許を取ろうと通信制の専門学校に通い始めたのは28歳。もちろん、超遅咲きのスタートだ。吉原直樹氏が、理美容業界に飛び込んでから、約25年。今では全国に200店舗を超えるヘアサロンを展開する、ホールディングカンパニーの経営者となった。「今、僕が経営者として携わっているのは理美容マーケットですが、ここで昔からの夢だった、教育者と海外ビジネスの両方を実現できているんです」と笑う。吉原氏の教育志向も海外志向も、そのベクトルは美容室の地位向上、そして同社に集ってくれたスタッフたちの成功にブレなく向かっている。今回は、アルテサロンホールディングスの代表である吉原氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

全国に200店舗を超えるヘアサロンを展開する、ホールディングカンパニーの経営者 吉原氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24

「バイクを売るなら、GO~、バイク王~♪」。中山エミリさん、藤井フミヤさん・藤井尚之さん兄弟、そして現在は雨上がり決死隊が出演するテレビCMを見 たことがある人は多いだろう。あのオートバイ買い取り専門店「バイク王」を主軸とし、「オートバイライフの総合プランナー」を目指す株式会社アイケイコーポレーション。同社をパートナーの石川秋彦氏と一緒に立ち上げたのが、加藤義博氏である。1994年に起業して以来、オートバイユーザーの利便性を第一に考え、全国無料出張買い取り、申し込み受け付け24時間365日体制の整備を始め、様々なサービスの拡充を行ってきた。加藤氏は言う。「“BIKE”という文字の中心に、“IK(アイケイ)”があります。『オートバイのことなら、何でもアイケイコーポレーションに聞けばいい』。世界のオートバイマーケットの中でそんな存在になることが夢ですね」。今回は、そんな加藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「オートバイライフの総合プランナー」を目指し、果敢な挑戦を続けている加藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08

アメリカでイチローの次に有名な日本人。知らなかったあなたに教えよう。Yoshida Groupを率いる吉田潤喜氏である。「強い国、憧れの国アメリカで成功をつかみたい!」。そんな思いを胸に、吉田氏がひとり渡米したのは今から40年前のこと。英語もからきし、徒手空拳の無謀な挑戦だった。が、中学からケンカが強くなりたい一心で、ずっと続けてきた空手が、次々に新しい縁をもたらしてくれることになる。そして1982年、とあるきっかけで生まれた“ヨシダソース”は、家庭の味を生かした本格的なソースとして、一般家庭はもとよりプロのシェフや料理人たちの間に広まっていく。その後マーケットは拡大。ヨーロッパや中南米、また日本をはじめとするアジア諸国など、世界各国でも販売されるまでに。現在、Yoshida Groupは、食品事業以外にも、不動産、ロジスティックス、ディストリビューションなどの事業も展開中だ。グループ年商約250億円の企業に成長したが、「これまで、ああもう倒産やっちゅうピンチが4度はありました。今日はノールールでしゃべりましょか」と、吉田氏は豪快に笑った。今回は、そんな吉田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

アメリカでイチローの次に有名な日本人 吉田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08

東京千代田区一番町。皇居にも近く、いわば東京のど真ん中だ。この場所に本社を構える株式会社ナチュラルアートの事業内容はなんと、農業ビジネスである。今はやりの高級農畜産物の流通企業などではない。自社で直営農場を持ち、北海道から沖縄まで、1000軒を超える提携農家とともに、青空の下農地畜産物をつくり、そして販売することを主目的とした企業なのだ。同社を立ち上げた鈴木誠氏は、非農家の出身だという。今、食料危機が世界を襲い、日本の食料自給率も40%を切っている。「食料安保を誰もやらないなら、自分がやるしかない」と、まさに徒手空拳で農業の世界に飛び込んだのだ。「正直言いますと、僕は農業生産者と一緒に畑を増やす作業に専念したい。ただ、これから立ち上げようと計画している農業ポータルサイトも、農業再生ファンドも、誰もやってくれないから当社がやらざるを得ないんです」と、鈴木氏は言う。今回は、そんな鈴木氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「食料安保を誰もやらないなら、自分がやるしかない」と、まさに徒手空拳で農業の世界に飛び込んだ鈴木氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08

2007年から、大手ファミリーレストランチェーンの撤退が相次いでいる。リストラクチャリングを進めるチェーンもただでは事業をやめられない。原状回復など、多額の撤退費用がかかるのだから。そのマーケットの中で、多くの撤退企業から注目を浴びている企業がある。郊外ロードサイドの居抜き物件を中心として新店舗の出店を展開する“エムグラントフードサービス”がそれだ。同社の若き経営者である井戸実氏は、なんとまだ30歳。撤退店舗を安く買い上げ、再生する経営手法は当初“ロードサイドのハイエナ”と呼ばれたが、いまや多くのチェーンが頼りにする“ロードサイドのエンジェル”に昇格。時代を先読みした井戸氏の戦略は今のところ大当たりしている。「不透明な時代ですが、これからも必ず必要とされるビジネスモデルであることは間違いないでしょう」と語る。今回は、そんな井戸氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

郊外ロードサイドの居抜き物件を中心として新店舗の出店を展開する“エムグラントフードサービス”設立者 井戸氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08

日本のサッカーリーグにはJ1からJ9までが存在し、約8300ものチームが毎年しのぎをけずっている。うち、J1、J2がプロクラブと言われ、J3のJFLを含め、50~80のクラブがプロクラブ化を虎視眈々と狙っているという。そんな競争の激しい世界で、創立3年目にして、地域リーグからJFL、そして昨年12月、とんとん拍子にJ2昇格を決めたのがファジアーノ岡山である。ちなみにファジアーノとはイタリア語でキジという意味。岡山ゆかりのおとぎ話“桃太郎伝説”に登場する鳥の名前から付けられた。ゴールドマン・サックス証券の執行役員という、誰もがうらやむ地位を捨て、設立当時、資本金500万円のファジアーノ岡山スポーツクラブ代表に就任したのが、木村正明氏だ。「人生は一度きり。岡山への郷土愛と、恩返しを志に、挑戦を決断しました」と語る。今回は、そんな木村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

創立3年目にして、地域リーグからJFL、そしてJ2昇格を決めたファジアーノ岡山の創立者木村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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巨乳をビジネスに仕立て上げた、芸能プロダクション社長、野田義治氏。彼が発掘し、育て上げた美しくグラマーな女神たちにお世話になった男性諸氏も多いの ではないだろうか。ただし、もとから巨乳グラビアアイドルを育てるつもりなどなかったのだと言う。野田氏が女性タレントをスカウトする際に注目したのは、自分の好みに加えて、利口さ、性格の良さ。あとは、自分自身の勘。それらの審美眼にかなった女性の多くが、たまたま胸の大きなコたちだっただけ。ただし、マーケッターとしての勘が、世の中の若者男性のニーズを見逃さなかった。巨乳バカ一代を自称し、自らもマスメディアに登場。巨乳タレントと強面社長のギャップがさらなる話題となり、巨乳ブームはいっきに広まっていった。「そもそもグラビアイドルなんて続かないんですよ。水着なんて1年で飽きられちゃうから。できるだけ長くかわいがってもらう手法を考えてあげないと」と、強面で人間味あふれる優しい自論を語る。今回は、そんな野田社長に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

巨乳をビジネスに仕立て上げた、芸能プロダクション社長、野田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08

開成高校、東大法学部、在学中に司法試験合格。そして、ハーバード・ビジネス・スクールを成績上位5%の優秀生(日本では4人目)として卒業。帰国後、そ んな輝かしい学歴、合格歴を持つ岩瀬大輔氏が選んだ挑戦が、「ふつうの消費者の視点に立った、まったく新しい生命保険会社」の立ち上げである。35年間、大手生命保険会社に勤務し、起業を決意した出口治明氏の想いに岩瀬氏はすべてのアントレプレナーシップを注ぎ込む決意をした。そしてふたりが掲げた理念のもとに集った仲間たちと、数えきれないほどのハードルを潜り抜け、2008年5月、独立系としては74年ぶり、国内44番目の生命保険会社として営業を開始した。「アントレプレナーシップは、ひとりゼロから起業する時だけに必要な力ではなく、自分が熱くなれるのであれば、どんな規模、タイミングのビジネスでも発揮できるものなんです」と、語る。今回は、巨大な45兆円の生命保険市場に挑戦する岩瀬氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

巨大な45兆円の生命保険市場に挑戦する岩瀬氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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こんなサービスがあったら世の中が変わるかもしれない。あなたも一度くらいはそんな夢を思い描いたことがあるかもしれない。だが、その実現のために行動を起こす人は稀だ。なぜなら、誰も手がけてないということは、先が見えないから……。須田将啓氏と田中禎人氏。ふたりの創業者が共同最高経営責任者を務める エニグモという会社がある。東京・渋谷にオフィスを構える全社員50人強のこの会社が、「BuyMa」「プレスブログ」「filmo」「シェアモ」という、世界初のWebサービスを発信し続けている。2002年のクリスマス、須田氏と田中氏は、「世の中が変わるかもしれない」ビジネスアイデアについて熱く語り合った。そして、本気でその実現を目指し行動し始める。その動機について、「BuyMaは、自分の思い描く“あるべき姿”を実現できるすごいサービスになり得る。そして、その可能性を熱く語り合ったこの“ノリ”をここで終わらせたくないと思ったんです。」と、須田氏は教えてくれた。今回は、そんな須田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

世界初のWebサービスを発信し続けているエニグモ創業者の一人である須田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08

自らの目で見たもの、そして自らが得た経験が、すべて山口絵理子氏の行動の背景にはある。言い方を変えれば、どこかからともなく流れてきた客観的な情報では、彼女は動かないということ。まだ27歳と、あどけなさが残る山口氏だが、ここまで自分という機軸をぶらさずに生きる姿勢には感服させられる。マザーハウスのバッグはすべて、バングラデシュという、いわゆる途上国メイドだ。誰もが安かろう悪かろうをイメージする商品を、ここまで短期間でブランディングし、多くのファンをひきつけた理由。それは、彼女の生き方に裏打ちされたストーリーの存在があるようだ。山口氏が教えてくれた。「うちのお客様は、老若男女本当に幅広いんです。品質はもちろん確かですが、それよりも、『元気をもらいたかったから』『マザーハウスの活動を応援したいから』、そんな購買動機を持たれる方々が多いですね。これからも正しい途上国支援のかたちを模索し続けます」。今回は、そんな山口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ビジネスを通じた健全で持続可能な途上国支援のために走り続けている山口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08

パソコン、薄型テレビ、携帯電話、ハイブリッドカー、軍事兵器など、ハイテク機器に使用され、現代の生活になくてはならない物質がある。ニッケル、コバルト、マンガン、タングステン、インジウム、タンタルなど、地球に69種類あるといわれる「産業の米」。レアメタル(希少金属)である。日本は世界のレアメタルの25%を消費する世界一の消費国だが、そのほとんどを海外からの輸入に頼っているのが現状だ。産業立国ニッポンのポジションを守るために、立ち上がった“現代の山師”がいる。それが、アドバンスト マテリアル ジャパンの社長を務める中村繁夫氏。中国、ロシア、中央アジアのレアメタル開発輸入をはじめ、現在はアマゾン、キューバ、モンゴル、ベトナム、北極圏カナダなど世界の資源を開発中だ。「国がやるべき仕事ではないかとも思いますが、日本のために私たちができることはどんどん挑戦していきたい」と豪快に笑う中村氏。今回は、そんな中村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「日本のために私たちができることはどんどん挑戦していきたい」と語る“現代の山師”中村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08

1970年から始まった生産調整政策。いわゆる減反政策である。これにより、米作農家は自分の田んぼに自由に米をつくる権利をはく奪された。かつて琵琶湖の次に大きな湖だった秋田県の八郎潟を干拓してでき上がった広大な農地、大潟村。減反政策が始まった年に、涌井徹氏は、家族とともにこの地に入植してきた。新潟県の1.3ヘクタールの田んぼと生家を売り払い、10ヘクタールの広大な田んぼで思い切り稲作を行うために、だ。そして、彼の闘争の日々が始まる。国、県、農協、権力を持った組織からの攻撃は半端なものではなかった。しかし、涌井氏は自分の信念、「米をつくる自由」「米を売る自由」という権利を獲得するために、一度たりとも攻撃に屈することはなかった。そして、「ヤミ米派」というレッテルをはがすことに成功し、氏が代表を務める「大潟村あきたこまち生産者協会」は、今では新しい農業経営のモデル」とさえ言われるまでになった。「60歳を超えて、もうひとつ。生きてきた証を残したいと考えていたのですが、大きな夢が見つかりました」と語ってくれた涌井氏。今回は、そんな涌井氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「60歳を超えて、もうひとつ。生きてきた証を残したいと考えていたのですが、大きな夢が見つかりました」と語ってくれた涌井氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/21

現代の日本には様々な原因から生じるストレスが蔓延し、世界先進国の中でも最も自殺者の多い国となってしまった。自殺率で見ると、なんとアメリカの2.5 倍。年間の国内自殺者が3万人を超えたのは1998年から。ちょうどこの年に、メンタルヘルス予防のインフラを提供するパイオニアとして産声を上げたのが株式会社ピースマインドである。以来、オンラインによるカウンセリングサービス、ホテル、百貨店などでのカウンセリングルームの直営展開、世界最大手EAP(従業員支援プログラム)企業との業務提携などを積極的に行い、日本におけるメンタルヘルスサービスの新しい概念、価値を生み出し続けている。「予防を前提としたメンタルヘルスが浸透し、個人、組織が正しい認識を持ち、適切な制度が行き渡れば、個人、家族、企業、そして社会全体が本当の意味で豊かになると信じています」と語ってくれた荻原国啓氏。今回は、同社の社長国啓氏と、双子の兄であり副社長を務める英人氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本におけるメンタルヘルスサービスの新しい概念、価値を生み出し続けている荻原氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/21

民間企業、国・地方公共団体などは、「障害者の雇用の促進等に関する法律」に基づいて、従業員規模に応じた一定割合数以上の障がい者を雇用する義務がある。そして、この雇用割合を満たせない企業については、、不足ポイントに応じた納付金の支払いが定められている。しかし、実際に一定割合数以上の障がい者 雇用を達成している企業は3分の1にも満たないという。そういった企業向けの障がい者の遠隔地雇用支援サービスを考案し、この社会的課題の解決に貢献しているベンチャー企業が仙台に本社を置く株式会社ウイングルだ。働きたい障がい者、障がい者を雇用したい企業双方をハッピーにしながら、自社もしっかり収益を挙げるソーシャル・ベンチャーといえよう。「戦後から50年の時が経ちましたが、当社のようなスキームは今まで無かったと思います。これからもビジネスの手法で、世界中にある様々な社会的課題を解決していきます」と語ってくれた同社代表の佐藤崇弘氏。今回は、そんな佐藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

企業向けの障がい者の遠隔地雇用支援サービスを考案し、この社会的課題の解決に貢献しているベンチャー企業設立者佐藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/21

デジタルカメラが世の中に出回る前に、自ら遠隔操作プリンティングシステムと通信インフラを開発。その仕組みを進化させ、今では遺影制作のオーダーが、全国から年間30万件以上も届く企業が広島にある。その後も、その道のプロたちから絶対に不可能と反対された、世界で1冊だけの写真集制作事業を軌道に乗せるなど、写真とデジタル、そしてインターネットのテクノロジーを自由自在に操る、経営者兼エバンジェリストが、アスカネットの総帥、福田幸雄氏である。「写真集事業へのトライを決めたのはいいのですが、始めてすぐに、できない理由が100個以上出てきた。みんなが無理だという理由もわかりました。それでも、あきらめたり、妥協したりしたことは一度もありません。成功を信じて研究開発と営業を継続してきたからこそ、今のアスカネットがあるのです」と語ってくれた福田氏。今回は、そんな福田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

写真とデジタル、そしてインターネットのテクノロジーを自由自在に操る、アスカネットの総帥、福田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/21

2003年の秋、26歳の会社員が、新しいアイデアをサービスとして生み出すため、SNS「GREE」の開発を開始した。会社の業務ではなく、あくまでも趣味としてだ。翌年2月に小さな産声を上げた「GREE」は、5年後の2009年4月、1000万人の会員数を誇る国内トップクラスのSNSに成長。また、自社で制作するクオリティの高い無料ゲームを集客やコミュニケーションの活性化に生かしながら、月間のページビューも100億台を突破。趣味を売り上げ128億円のビジネスに変えた男、それがグリー株式会社の代表を務める田中良和氏である。「インターネットの世界でも、誰かが面白いと感じたものが、大きな波となり、ビジネスベースに乗るには、5年くらいの歳月が必要なのです。2006年にモバイル版に舵を切ったのも、僕が考える2010年のイメージを信じてのことです」と語ってくれた田中氏。今回は、そんな田中氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

趣味を売り上げ128億円のビジネスに変えた男、グリー株式会社代表、田中氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/21

日本社会の少子化が進行する中、新しい家族ともいえる犬、猫などのペット数が年々増加。今、その国内飼育頭数は2600万頭を超えている。もの言えぬ動物 たちのための健康保険をつくった男がいる。それがアニコム損害保険株式会社の代表を務める、小森伸昭氏である。現在、同社の保険を契約しているのは、犬、猫、鳥、うさぎ、フェレットのペットオーナーたち約22万人。もちろん、ペット保険を販売している損保会社の中では新規契約数ナンバーワンだ。人間の健保と同じように、保険証に当たる診療記録簿を窓口で提示すれば、診療費の50%を支払うだけでOK。その便利さが受け、現在も契約者数はうなぎのぼりで増加している。「国内の犬猫のペット飼育頭数は2600万頭ですが、保険に加入しているのはわずか1、2%程度。ペット保険先進国であるイギリスのペット飼育頭数が日本の約半分で、ペット保険市場が800億円ですから、日本は少なくとも1000億円くらいまで成長する余地があると考えています」と語ってくれた小森氏。今回は、そんな小森氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

もの言えぬ動物 たちのための健康保険をつくった男、アニコム損害保険株式会社代表小森氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/21

 “Soup Stock Tokyo”。現在、首都圏を中心に53店舗を展開しているスープ専門店である。このビジネスモデルは、元・三菱商事の社員だった遠山正道氏が、日本ケンタッキー・フライド・チキンに出向中の1997年、ふと思い浮かべたインスピレーションから生まれたものだ。そして、この新規事業を三菱商事の社内ベン チャー企業として独立させ、2008年の初頭には、自らの全額出資によりMBOを完了。株式保有率100%のオーナー経営者として、運営母体であるスマイルズの新たなかじ取りを始めている。また、これも自身の思いから生まれた事業であるが、ネクタイの製作販売、新しいかたちのリサイクルショップも動き始めた。「とてもおっとりした家庭環境で育ち、3人兄弟ですが、兄弟げんかをした記憶もありません。それゆえか、キツキツしたマネジメントは苦手。チームや世の中との共感と、未来のあるべきイメージを思い描く。これが私の経営スタイルです」と語ってくれた遠山氏。今回は、そんな遠山氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ビジネスパーソン、ベンチャー社長として活躍しながら、アーティストとしての顔も持っている遠山氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/21

年中無休で、早朝&深夜の延長保育、一時預かりも可能。仕事を持つ保護者たちが待ち望んでいたサービスを提供してくれる保育施設が、2001年の12月にオープンした。それが、JPホールディングスが手がける「キッズプラザアスク」である。ほか、学童クラブ、児童館の運営委託も行い、現在、全国で95施設を運営中。同社の代表を務める山口洋氏は、コーヒービジネスで会社を上場させた後、本格的にこの子育て支援事業をスタート。保育どころか教育事業も素人だった山口氏が、どのように子育て支援事業に出会い、成長させていったのか……。「既存の保育園は、日曜や祝日に子どもを預かってくれない。夜間の延長保育をしてくれない。休日や夜間に働いている親がたくさんいることがわかっていながら、対応しようとしない。自分たちがその時間に働くのが嫌なのでしょう。サービス業とは思えない、その怠惰さにあきれました……。だったら私がこの業界を変えてやろうと思ったのです」と語ってくれた山口氏。今回は、そんな山口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

年中無休で、早朝&深夜の延長保育、一時預かりも可能。仕事を持つ保護者たちが待ち望んでいたサービスを提供してくれる保育施設「キッズプラザアスク」代表 山口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

『価格は、遺族の家の門構えと自家用車を見て、職業を聞いてから決める』『生活保護者の葬儀は受け付けない』18歳で天職と思える葬儀社の正社員となり、 その後、18年間を雇われの身ですごした青年・冨安徳久氏は、許せない業界の不文律をいくつも目の当たりにしてきた。37歳、業界の反発を知りつつも、料金を完全開示し、葬儀業界の社会性を高めるという信念をもって起業を果たす。愚直な資金調達、激しいバッシングとの闘い、様々な試練を潜り抜けながら、中部地方初の葬祭上場企業に育て上げた。「葬儀業界のナンセンスな部分を残らず切り取って、業界自体を変えなければいけなかった。透明でわかりやすい適正価格で、ご遺族の悲しみに寄り添った葬儀をご提供する。この当たり前の世界をつくるために、起業という選択肢を選ばざるを得なかったんです」と語ってくれた冨安氏。今回は、そんな冨安氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

業界の反発を知りつつも、料金を完全開示し、葬儀業界の社会性を高めるという信念をもって起業を果たした富安氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

清潔感あふれる白を基調としたキッチンスタジオ。その多くがガラス張りのため、道行く人の多くが振り返る。スタジオの中では、若い女性講師と、若い女生徒が、和気あいあいと料理をつくり、調理後の試食で盛り上がる。今では全国105カ所に店舗網を持ち、会員数はなんと22万人超。それが、料理ベタでも気軽に通える料理教室、“ABC Cooking Studio”だ。この料理教室を1985年、21歳で立ち上げ、現在も同社の代表を務めるのが、横井啓之氏である。「20歳の頃、食器販売の仕事を始めました。その活動の中で、料理ができない女性があまりに多い実情に気付き、これでは世の男性たちがかわいそうだと。そんな思いが強くなった。で、最初は顧客サービスの一環として、材料費だけもらって料理づくりを教えるようになったんですよ」と起業前の思い出話を語ってくれた横井氏。今回は、そんな横井氏 に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

料理ベタでも気軽に通える料理教室、“ABC Cooking Studio”社長 横井氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

“Living with flowers everyday”。直線で囲まれた都会で暮らす人々を、花や緑のある生活を届け癒したい。そんな思いで始まったビジネスのスタート地点は無店舗販売、その後に生まれた第1号店はビル地下1階の踊り場だった。そして現在、「青山フラワーマーケット」は全国で66店舗強のネットワークに拡大している。この事業をかたちにしたのが、株式会社パーク・コーポレーションの代表を務める、井上英明氏である。「都会に住むストレスフルな人々も、生活の中に花や緑があることで癒される。花を売る商売を続けていこう。100本の花を1人に売るよりも、1本の花を100人に届けよう。そう心に決めて、お客様の気持ちに寄り添いながら、僕は今日まで経営を続けているのです」と語ってくれた井上氏。今回は、そんな井上氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「100本の花を1人に売るよりも、1本の花を100人に届けよう」そう心に決めて、今日まで経営を続けている井上氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

インディーズコミック市場のリーダーとして、日夜奮闘を続ける株式会社虎の穴。Aボーイ=アキバ系のオタクを自称する人々の中で、キャラクターショップ 「とらのあな」を知らない人は皆無といっていいだろう。今や年商180億円を超える企業に成長した同社だが、その歴史のスタートは1994年、秋葉原の路地裏にある雑居ビルの3階、わずか10坪の店舗だった。この急成長ベンチャー企業を起業したのが、自身もAボーイ出身の吉田博高氏である。「世界中のインディーズ・クリエイターたちがつくるマンガやキャラクターを支援し続けることで、このマーケットのポジションをもう一段高めたい、世の中にその価値を認めさせたい。そのためにも全スタッフが今以上に、健康で、のびのび楽しく働ける風土をつくらねばと改めて考えているところです」と語ってくれた吉田氏。今回は、そんな吉田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

インディーズコミック市場のリーダーとして、日夜奮闘を続ける株式会社虎の穴代表 吉田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

伝説によって運営され、泊まることで世界のためになるホテル。それが“伝説のホテル”。そのビッグコンセプトが生まれたのは今から約5年前、あるホテル視察から東京に戻る飛行機の中だった。ザ・レジェンド・ホテルズ&トラスト株式会社の代表を努めるのが、“つるちゃん”こと、鶴岡秀子氏。10歳の頃から、起業家になることを決めていたという、不幸に鈍感な“天国体質”を持つ、笑顔の素敵な女性起業家である。そんな彼女の夢を応援する、本気の支援者が続々と増加中だ。「応援してくれるみんなが言うんです。『つるちゃんなら、絶対にあきらめずにやりきってくれる』って。その期待に応えるためにも頑張らなきゃ。最短で年内、もしくは年明けには工事着工できる予定です。そして今、2011年の春か夏のグランドオープンを目指しています」と語ってくれた鶴岡氏。今回は、そんな鶴岡氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

不幸に鈍感な“天国体質”を持つ、笑顔の素敵な女性起業家 鶴岡氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

地球上で暮らす67億人のうち、10億人が飢えに喘ぐ一方で、10億人が肥満など食に起因する生活習慣病に苦しんでいる。この世界規模の“食の不均衡”の問題解決に取り組むべく、2007年10月、TABLE FOR TWO Internationalを創設し、理事・事務局長に就任したのが小暮真久氏。TABLE FOR TWOを直訳すると「二人の食卓」。先進国の人々と開発途上国の子どもたちが、時間と空間を越え食事を分かち合うというコンセプトだ。日本発の社会貢献活動への支援の声が、今、日本国内のみならず、世界各地から寄せられている。「3カ月毎に、支援しているアフリカの3カ国を視察のため訪れていますが、毎回毎回、まだまだ僕たちにできることがあるはずだという思いを新たにしています。絶対に、日本から世界へ広がる社会貢献活動、TFTの灯を絶対に消してはならないのです」と、語ってくれた小暮氏。今回は、そんな小暮氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本から世界へ広がる社会貢献活動TABLE FOR TWO Internationalを創設者小暮氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

様々なメディアで、日本のビル・ゲイツ、天才プログラマーと紹介される、25歳の大学院生が筑波にいる。登大遊氏――。彼は大学院生でありながら、画期的 なVPNソフトを開発し、大学発ベンチャー、ソフトイーサ株式会社を設立した起業家でもある。現在、VPNソフト「PacketiX 2.0」を主軸とし、多くの企業に快適な通信環境の提供を続けている。「僕よりも先に生まれた人たちが頑張って、素晴らしい企業をたくさんつくってきました。でも人は、自分が生まれるタイミングを選ぶことができません。今という時間を使って何をすべきかを考えれば、やはり誰もやっていない新しい価値を世の中に残すこと。ソフトならそれが可能だと思うのです。」と、語ってくれた登氏。今回は、そんな登氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

様々なメディアで、日本のビル・ゲイツ、天才プログラマーと紹介される登氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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日本最大級の理美容サロン・エステ商材の専門オンラインショップ「BEAUTY GARAGE」と、全国12カ所のショールームを機能させながら、急成長を続けるベンチャー企業、株式会社ビューティガレージ。設立から7年目を迎え、取扱商品は常時10万アイテム、毎月約2000サロンの新規会員が増え続け、累計会員サロンは6万店を突破。業界の“正義の味方”を自負するのが、同社を立ち上げたアントレプレナー・野村秀輝氏である。「まだまだ既得権益者が根強く踏ん張っていますから、当社は業界の嫌われ者です(笑)。ただ、サロンを経営する側の方々からは好かれている。ここにこそ、私たちの存在意義があると思っています。言ってみれば、強きをくじき弱者を守る正義の味方であると」と語ってくれた野村氏。今回は、そんな野村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本最大級の理美容サロン・エステ商材の専門オンラインショップ「BEAUTY GARAGE」を立ち上げた野村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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日本全国の「住まい」に関する情報をすべて公開し、業界とエンドユーザーの間に存在する「情報の非対称性」を解消する。1995年、そんな志を胸に起業し たのが、井上高志氏である。資金100万円、ワンルームマンションの1室、個人事業としてスタートした挑戦は、1997年に株式会社のかたちとなり、今、日本最大級の住宅・不動産情報ポータルサイト「HOME’S」の運営会社へと成長を遂げている。「私たちのビジョンは『常に革進することで、より多くの人々が心からの「安心」と「喜び」を得られる社会の仕組みを創る』ことです。本来、国や政治がやるべきイノベーションをいつも敏感に察知し、先に成し遂げるのがネクストです。たくさんの人々から、そんな期待感を持っていいただける会社にしていきたいですね。そのためには、やはり志を同じくする“人財”が必要。だから、日本一働きたい会社を本気でつくろうとしているのです」と語ってくれた井上氏。今回は、そんな井上氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本最大級の住宅・不動産情報ポータルサイト「HOME’S」を起業した井上氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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デリバリー系飲食店などのオーダー受付代行を行う専門ポータルサイト「出前館」を運営する夢の街創造委員会。2002年、このままでは倒産というタイミングで、同社の二代目社長に就任し、経営を再建、上場企業に育て上げたのが中村利江氏である。「夢の街創造委員会という社名は、誰もが望む“あったらいいな”という“夢の街”をひとつでも多く“創造”する、そして“委員会”のように自ら手を挙げてプロジェクトに参加しようという意味が込められています。そのとおり、社内会議をする際もみんなで“出前館”を使って食事をオーダーし、より便利なサイトの使い方や新しいアイデアをどんどん出し合っています。私たち自身が“出前館”のヘビーユーザーなんですね(笑)」と語ってくれた中村氏。今回は、そんな中村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

デリバリー系飲食店などのオーダー受付代行を行う専門ポータルサイト「出前館」二代目社長中村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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全国で約200店舗を展開するヘアサロン、「EARTH(アース)」。アースホールディングスの代表・國分利治氏が、大型サロンと独自のフランチャイズ・システムを組み合わせた経営戦略で急拡大した美容グループである。現在、約3000名のスタッフを抱える國分氏の夢は、100人の経営者を育てること。これが今後の彼の使命であり、ライフワーク。「今、フランチャイズオーナーは40名。中には40店舗を経営し、年収1億円を取るつわものもいるんですよ。彼はまだ34歳ですけど、8年間ずっと休みなく働いています。まだまだ100人の経営者づくりは夢の途中ではありますが、これからも、同じ考えを持って私の目指す未来を理解してくれる仲間、ビジネスファミリーをつくる仕事に注力していきたいと思っています」と語ってくれた國分氏。今回は、そんな國分氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

大型サロンと独自のフランチャイズ・システムを組み合わせた経営戦略で急拡大した美容グループ「EARTH(アース)」の代表国分氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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「ミルミルミルミル、マクロミル~♪」。人気女優・歌手の原田知世さんが歌う、可愛いラジオCMソングが頭に残っている読者も多いだろう。2000年に株式会社マクロミルを立ち上げ、ネットリサーチ業界最大手企業に育て上げたのが、同社の代表取締会長兼社長を務める杉本哲哉氏である。2006年9月にいったん取締役ファウンダーとしてトップの座から離れるが、2009年7月、「再ベンチャー宣言」を掲げ、代表復帰。経営のかじ取り役として、今日も“理想の会社”づくりにまい進中だ。「7月から半年ほどしか経っていませんが、スピード感とか、既存事業の強化、新規事業への挑戦、ベンチャーマインドの呼び戻し、徐々にではありますが成果が出始めていると思っています」と語ってくれた杉本氏。今回は、そんな杉本氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ネットリサーチ業界最大手企業「株式会社マクロミル」の代表取締会長兼社長の杉本氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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携帯電話の機種変更をした後、前機種との操作性の違いにとまどった経験がある方は多いだろう。これは、携帯電話機メーカー各社が、それぞれ独自の UI(ユーザーインターフェース)を提案することで、顧客を囲い込む戦略を進めた弊害といえる。しかし、ユーザーはただ、自由に、便利に、たくさんの優れた携帯電話の機能を使いたいのだ。メーカーの思惑と、ユーザーの願いの間に存在する問題を解決するために、立ち上がった男。それが、株式会社アクロディアの堤純也氏である。「もちろん、シニアも小学生も、会社員も主婦だって使う携帯電話ですから、万人が最適と感じるUIなど存在しません。ならば、OSとアプリケーションの間でミドルウエア機能させ、UI自体を抽象化し、好みの使い方を自由に選べるようにすればいい。当社の製品“VIVID UI”が、そのソリューションを実現しました」と語ってくれた堤氏。今回は、そんな堤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

メーカーの思惑と、ユーザーの願いの間に存在する問題を解決するために、立ち上がった男、堤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

メガネは高い、売り場がカッコ悪い、品揃えが少ない、受け取るまでに時間がかかる……。ユーザーが感じていた、すべての不満を解消し、高いデザイン性と低価格の両立をスローガンに、オリジナルのメガネをSPA(製造直販型小売業)で展開し、業績を急拡大。今では年間約150万本(今期2010年8月予測)を販売するメガネの人気ブランドとなった、「JINS」の生みの親が、株式会社ジェイアイエヌの田中仁氏である。「稼ぎが目的だと、顧客視点を忘れて、続かなくなります。そして起業は商いだけに、飽きないものを選ぶこと。当社の主力事業はメガネですが、そもそも僕は無類のメガネ好きではないんです。縁があってこの事業を始め、本気になったら面白くなっていったという感じでしょうか」と語ってくれた田中氏。今回は、そんな田中氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ユーザーが感じていた、すべての不満を解消し、高いデザイン性と低価格の両立した「JINS」の生みの親、田中氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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農薬や化学肥料に頼らない、有機野菜が売れている。おいしくて、体に安全なのだから当然だろう。しかし、大地を守る会が生まれた今から35年前、この取り 組みは生産者からも、流通業者からも「無理だ」といわれていたのだ。社会的起業のさきがけと呼ばれ、現在、9万1000人の消費者と2500人の生産者をつなげる一大ネットワークとして、大地を守る会を育て上げた藤田和芳氏は言う。「環境に負荷を与えない生産活動を推進し、大地も、川も、海も、ひいては人々の健康な体を守るため、この活動を通じて、これからも日本の農業をしっかりと支えていきたい。絶対に、この旗を降ろすわけにはいきません」。今回は、そんな藤田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

社会的起業のさきがけと呼ばれる「大地を守る会」の会長藤田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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 外苑前や代官山のカフェ「Sign」、目黒のホテル「CLASKA」、大阪の「DOJIMA HOTEL」、鎌倉の「bills」、青海の「the SOHO」などなど、中村貞裕氏が率いるトランジットジェネラルオフィスが手がける人気空間が増殖中。ファッション、音楽、デザイン、アート、食といった様々な魔法をふりかけて、ひとつの空間が話題を呼び、そしてトレンドとなる。それはなぜか? トランジット・マジックを求める人、そしてマジックを体感し、笑顔になりたい人が増えているからだ。「ファストファッションという言葉が今、普通に使われています。でも、“GAP”1社では、大波にはならなかった。“ZARA”“H&M”“FOREVER 21”の追随があって、今のような大波がつくられている。僕としては、要は、東京、ひいては日本が発信する、ブームやトレンドを津波に変える人になりたいんです」。今回は、そんな中村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

話題の空間を次々にブランディングする魔法使い「トランジットジェネラルオフィス」代表中村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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競合は、存在しない――。「製造ネット小売業」という新業態を構築し、20~30代の女性F1層の会員数が190万人を超える。掲載ファッションアイテム数5300点強。毎月の投入新商品、400~500点。今も爆発的な勢いで急成長を遂げている、ファッションアイテムのネット通信販売企業、夢展望株式会社。従業員数208名、平均年齢28歳。女性比率は75%だ。夢展望を創業し、陣頭指揮を取るのが、岡隆宏氏。2006年に同社がアパレルビジネスに参入するまで、実は岡氏はまったく別の事業を手がけていた。そんな氏は言う。「僕はこのビジネスにたどり着くまで、ずっとエンターテインメントに関わる仕事をしてきました。どんな商売であっても、楽しくないとお客さまは来てくれないと思っています」。今回は、そんな岡氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

今も爆発的な勢いで急成長を遂げている、ファッションアイテムのネット通信販売企業、夢展望株式会社創業者 岡氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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「モバゲータウン」「ポケットアフェリエイト」など、日本最大規模のモバイルサービスを展開し、右肩上がりの成長を続けている株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)。「モバゲータウン」を介した、月間のページビュー(PV)は600億PVを軽く超え、日本の携帯電話の総トラフィック数の15%を獲得するまでに。モバイル先進国といわれる、日本での成功と10年をかけて培ってきた実績を武器に、今、チームDeNAが目指すのは、世界のリーディング・カンパニーの仲間入りをすることだ。同社の創始者であり、代表取締役社長の南場智子氏は言う。「すべての企業は成長を目指すべきか? 自問してみたのですが、これは好みの問題だと思います。私を筆頭に、チームDeNAは、フラットが嫌い。右肩上がりが大好きなのですよ(笑)」。今回は、そんな南場氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本最大規模のモバイルサービスを展開し、右肩上がりの成長を続けている株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)の創始者 南場氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/10/29

中古タイヤ・ホイール・カーナビゲーションなどの中古カー用品・中古バイク用品を販売&高価買取! 1999年に産声を上げた株式会社アップガレージは、今や日本最大級の中古カー&バイク用品チェーンに成長。「カー用品・バイク用品をもっと身近に、もっと親しみやすく」「ユーザーにとって欠けがいのない店へ」。そんなミッションを掲げ、今、同社は全国300店舗の出店を急いでいる。大学時代に始めた中古車販売ビジネスからスピンアウトするかたちで同社を起業した代表取締役社長の石田誠氏は言う。「エコ、環境問題を前提にしてビジネスをしているという気持ちは、まったくないですね。それよりも、クルマやバイクが大好きなお客さまが必要なものをなんとか安く届けたい。『アップガレージがあって良かった』と喜んでいただけるお客さまをひとりでも増やすこと。それがすべてなんです」。今回は、そんな石田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

今や日本最大級の中古カー&バイク用品チェーンに成長した株式会社アップガレージを起業した石田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/11/17

求人広告の掲載費は無料、応募者が勤務を開始して初めて費用が発生。さらに、採用が決まった求職者にはお祝い金が贈呈される。採用できるかどうか分からない求人広告に多額の費用を支払っていた企業が喜び、また、今まで表に出てこなかった求人が出揃うことで、選択肢が増え求職者も喜ぶ。さらに、採用が決まった求職者にはお祝い金が贈呈される。そんな画期的なアルバイト求人サイト「ジョブセンス」を立ち上げ、急成長を続ける株式会社リブセンス。設立は2006年と、5年目を迎えたばかりのベンチャー企業で、創業社長の村上太一氏はなんとまだ23歳。早稲田大学在学中の1年時に、同社を学生起業した超若手アントレプレナーなのである。「生きる意味とは? これがリブセンスという社名になっているのですが、誰もが幸せになるために生きていることは間違いないと思うんです。結局、相手が幸せになることによって自分が幸せになれるような仕事をするのが一番。だから、リブセンスの企業理念は"幸せから生まれる幸せ"なのです」。今回はそんな村上氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

早稲田大学在学中の1年時に、株式会社リブセンスを学生起業した超若手アントレプレナー村上氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/11/17

2010年4月に行われた、民主党政権による「事業仕分け」第2弾。その会場となったのが、貸会議室事業を手がけるTKPの運営する「TKP東京駅日本橋ビジネスセンター」だ。使われていないオフィスビルや結婚式場、ホテルなどのスペースをいかにキャッシュ化するか。TKPは、その命題に金融の知見やITを活用して事業化に成功、設立5年で売上高35億円と急成長している。いまでは日本全国の主要都市に直営、運営受託含めて500室を超える貸会議室を展開している。成功の要因には、不動産物件をできるだけ安く調達し付加価値をつけて提供するノウハウと、無理な投資をいっさい行わずに拡大させる事業モデルを確立させたことで、"売り手よし、買い手よし、世間よし"の"三方よし"を貫いていることが挙げられる。そして、貸会議室という"OS"の上に、研修プログラムや講師派遣、什器レンタル、弁当のケータリング、利用客の交通や宿泊の手配など、様々な"アプリケーションソフト"を乗せて提供。2013年に売上高100億円を目指す。今回は、そんな事業を展開している河野氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本全国の主要都市に直営、運営受託含めて500室を超える貸会議室を展開している株式会社ティーケーピー河野氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/11/17

カフェのある風景をつくることで、感性豊かなライフスタイルを創造し、生き生きとしたコミュニティ型社会を実現する~ "style makes your community"。これが、カフェ・カンパニーの使命であり、存在意義。1軒のカフェから発信された様々なコンテンツが情報となり、人が人を呼び、そしてその店舗が新たなビジネスやライフスタイルを生み出す。単なるコーヒーショップではなく、次代の付加価値を生み出すインフラとして、カフェを位置づけ、ブームで終わらない"集い場"をつくり続けているのが、同社の代表を務める楠本修二郎氏である。「みんな仕事をフレームワーク化したがりますが、感性ってそこにうまくはまるものじゃなかったりします。特に自分が『これは!』と感じた言葉やビジュアルなどを、ホスピタリティマインドを持って、誰のために、何を提供するといったかたちに変え、マネジメント、プロデュースしていく。それがすごく重要なんです」。今回は、そんな楠本氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ブームで終わらない"集い場"をつくり続けているカフェ・カンパニー株式会社設立者楠本氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/11/17

サンセットコーポレイションの創業者・丹野照夫氏が、24歳で開業した店舗面積わずか6坪のリサイクルショップが同社の歴史の始まりだった。創業から数年は、月の生活費3万円以下。そんな地道な努力と率先垂範のマネジメントを継続しながらも、人材募集の効率化を目指した大型店舗の出店、商品の単品管理を徹底するための自社POSシステムの導入など、チャンスと見るやすぐにチャレンジ。慎重さと大胆さを武器に、千葉、東京、埼玉のドミナント戦略による多店舗化を成功させてきた。「創業当初、サービスによる参入障壁をつくろうと考えました。当時はまだ、常連客と初来店客で同じ商品の買い取り価格を変えたり、立ち読み客を怒鳴って追い帰したりする古本屋が多かったのですが、その真逆をやれば、必ず選ばれる店になると思いました」。今回はそんな丹野氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

慎重さと大胆さを武器に、千葉、東京、埼玉のドミナント戦略による多店舗化を成功させてきた丹野氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

7畳間の自宅の部屋で生まれたプラネタリウムが、 投影星数2200万個を誇るモンスターマシンへ進化!

インタビュイー:大平貴之
インタビュアー:菊池徳行

「アマチュア、しかも個人には絶対に不可能」と言われていた、レンズ式プラネタリウムを、紆余曲折を得ながらも、たったひとりで開発してしまった日本人がいる。それも大学生の時に、だ。俳優・唐沢寿明氏が「世界一のプラネタリウム」と語った、ネスカフェゴールドブレンドのCMを覚えている人も多いのではないだろうか。あの共演者が、大平技研の代表取締役を務める、プラネタリウム・クリエーター・大平貴之氏である。そして、大平貴之氏が開発したプラネタリウム「メガスター」は、世界最高性能のプラネタリウムとしてギネスブックに認定され、今も世界中の天体ファンから熱い支持を受け続けている。「素人ゆえの大胆な挑戦が、可能を証明したケースがたくさんあると思います。不可能を決めつけることができるのは、神様にしかできないこと。それを人間が証明するのは、とても傲慢なことなのではないでしょうか」。今回はそんな大平氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「アマチュア、しかも個人には絶対に不可能」と言われていた、レンズ式プラネタリウムを、たったひとりで開発した日本人 大平氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

中国留学中に、中国人たちのハングリーさに驚愕。「このままの日本では、近い将来追い抜かれてしまう……」。そんな危機感から、起業への挑戦を決意したのが吉武修平氏である。まずは自給自足できる自分をつくるのが先決。そんな氏が設立した「ハングリード」という社名には、どこまでもハングリーに、そして常に社会をリードしていく企業を目指すという思いが込められている。4期目を迎えた現在、自社開発したECショップ向けASPサービスが多くの中小企業から受け入れられ、大ブレイク目前の注目ベンチャー企業となっている。「世の中から必要とされるサービスを常に提供できていれば、会社は存続していくはず。企業は継続してなんぼ、ですからね。夢は、いつか世界的なASPを育てた日本生まれの会社と呼ばれること。どこまでもハングリーに、戦っていきます」。今回はそんな吉武氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

自社開発したECショップ向けASPサービスが多くの中小企業から受け入れられた注目ベンチャー企業 吉武氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

社名はヤッパ。「やっぱ、いいよね」「やっぱ、面白い」の"やっぱ"を由来とし、10年前の設立当時、17歳だった青年社長、伊藤正裕氏がつけた社名である。2000年代初頭、ヤッパは3D画像事業を軌道に乗せ、一躍有名ベンチャーの仲間入りを果たす。が、2005年を境に、大きく2つの新規事業に会社の軸足をシフトし始める。そして現在の主力事業は、電子出版ソリューション。産経新聞、日本経済新聞などの新聞社、ほか多くの雑誌社がヤッパの技術を採用し、スマートフォンやタブレットコンピュータに、電子出版物を配信している。常に3年後を見越し、生き残るためにはどんな事業が最適か、自分たちができることで世の中への貢献につながる事業は何か、伊藤氏が考え続けたことの答が、今のヤッパにある。 「私が定めた会社のゴールとしましては、常に社会にしっかり貢献している会社であることです。自らの事業が世の中に本当に役立っているか、なくてはならない会社になっているかどうか。そういった意義ある仕事をできるだけ長く続け、大きくしていくということです。」 今回はそんな伊藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

17歳でヤッパを設立した青年社長 伊藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

デジタルカメラの普及により、ピーク時450万台あった年間の国内出荷台数が、わずか10年足らずでほぼゼロになったフィルムカメラ。技術革新とインターネットの台頭が、フィルムカメラの販売とプリントで成長してきたキタムラを、未曾有の危機に落とし込んだ……。同社の全国チェーン化を推進したのが、二代目経営者の北村正志氏である。2002年、氏は決意した。「人には、写真・映像による感動・思い出・きずなが絶対に必要」「すべての従業員を守らなければならない」。そして、利益度外視のデジカメ販売、デジカメのプリントへと事業構造の大改革を断行。70歳を目前に控えた今も、経営の最前線に立って旗を振り、オンリーワンのサービス企業を目指すため、日夜奮闘を続けている。「これからも、当社が世の中のひとつのインフラになって生き続けるために、ダントツのオンリーワン企業を目指します。ただし、絶対に人切りはしません。小売業が人切りするくらいなら、解散したほうがいい。当社の主役は、人間ですから」。今回はそんな北村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

70歳を目前に控えた今も、経営の最前線に立って旗を振り、オンリーワンのサービス企業を目指すため、日夜奮闘を続けている北村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

時価総額1000億円、東証一部上場の企業――そんな、社会のインフラ、一大産業となる可能性を秘めたベンチャー企業を生みだす起業ファクトリーを目指しているのが、「エムアウト」。営業をしない一風変わった商社・ミスミを年商550億円企業に育て上げた田口弘氏が、2002年にスタートさせた新たな挑戦である。それから8年が経った今も、マーケットアウトの発想を源流とした数々の新規事業をマネジメントしながら、ベンチャー成功の確率を1%でも高めるための研究・開発を続けている。「ここまでエムアウトを続けてきてわかったことは、やはり最初が肝心ということ。始める前に、いかに筋のいいビジネスをつくるか。これをやろうと決めたタイミングで、すでに当該事業が産業として発展できるかどうかが決まっているといっても過言ではないでしょう」。今回はそんな田口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ベンチャー成功の確率を1%でも高めるための研究・開発を続けている田口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

外資系投資銀行から、楽天イーグルスの創業メンバーを経て起業した、異色の経歴を持つ若きアントレプレナー、南壮一郎氏。彼のモットーは"業界に風穴を開ける!"。その宣言どおり、日本初の求職者課金型転職サイト「ビズリーチ」を立ち上げ、求職者に対して正しい選択肢と可能性の提供ができる仕組みづくりに励んでいる。そのほか、人材業界の仕事内容が正しく求職者に理解されることや人材業界の市場規模の拡大も念頭に新しい価値の創出に取り組む。今年の5月からは、企業の人事部に対しても無料で求職者の情報を公開し、モルガン・スタンレー、ナイキ、マイクロソフト、野村証券をはじめとした、錚々たる企業も参画中だ。「重要なのは、自分の市場価値やキャリアの選択肢と可能性を正しく把握し、自らが進むべき路を主体的に考えること。我々の仕事は、決して転職をお勧めすることではありません。自分の市場価値や選択肢を知ったうえで、今の会社に残ることも素晴らしい判断だと思います。我々が実現したいのは、正しい判断をするための情報提供をすること。なぜならば、人生で一番もったいないことは、本当はやりたいことがあり、実は目の前にチャンスがあるのに、それを知らなかったことだと思いますから」。今回はそんな南氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

"業界に風穴を開ける!"をモットーとした異色の経歴を持つ若きアントレプレナー、南氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

賃貸中のファミリータイプマンションは、空き室物件に比べると約3割安い。この「価格のゆがみ」を利用して儲ける手法は、金融商品の現物・先物の価格差に着目した「裁定取引」と同じロジックである。そして、スター・マイカは、賃貸中の中古マンションの一室を買い取り、借り主がいる間は賃貸収入で稼ぎ、退去後はリフォームして販売し、キャピタルゲインを稼ぐ。2002年にゴールドマン・サックス証券を後にした、伝説のプライベート・バンカー、水永政志氏が立ち上げた、地味で泥臭い不動産ベンチャーである。「不動産業界で派手に見えたベンチャー企業は、リーマンショックの後、けっこうな数がマーケットから消えてしまいました。しかし、一見、泥臭く見えるスター・マイカは、ほとんど無傷であの荒波を乗り切りました。そして今も、少しずつですが、堅実な成長を続けています。」今回はそんな水永氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

2002年にゴールドマン・サックス証券を後にした、伝説のプライベート・バンカー、水永氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

日本をより良き国に変えるために頑張って活動している、素晴らしいNPO法人は多数ある。しかし、その志とその実現ための行動は素晴らしくとも、資金難で苦しんでいるNPOが実は多い。その障害を取り除くために、国内初のファンドレイジングという手法を用いた支援型NPOを立ち上げたリーダーが佐藤大吾氏である。彼自身も議員インターンシッププログラムを運営するNPO法人を10年以上前から運営し続けている。そんな佐藤氏が今年の3月、新しいかたちのNPO支援策「JustGiving Japan」を始動させた。「チャリティ・プラットフォームおよび"JustGiving Japan"の現在の目標は、早期の黒字化を達成することです。イギリスの"JustGiving"は黒字化まで8年かかっていますが、私たちは3年後の実現を本気で目指しています。その先は、派手なことを言いますが、イギリスを抜いて世界一になる。もちろんできると思っています」。今回はそんな佐藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

国内初のファンドレイジングという手法を用いた支援型NPOを立ち上げたリーダー、佐藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2015/12/10

会員数45万人を擁する、オンライン麻雀ゲームがある。有料、しかもパソコンがメイン。それが、どこまでも“リアル麻雀”にこだわった、まったく新しいかたちの麻雀ゲーム「Maru-Jan(まるじゃん)」だ。開発元は、株式会社シグナルトーク。2002年に創業者である栢孝文(かや・たかふみ)氏が、「クリエイターの理想郷をつくる」という経営ビジョンを掲げ、設立した会社である。同社の主力製品はこの「Maru-Jan」だが、将棋ゲーム「遊び処 ふくろふ」、CGMゲーム「STORY TREE」、ほか様々なパズルゲームも提供中だ。「世の中をより良くするために、何か本気でやりたいことがあるなら、やるべきなのです。人間、自分のための行動は適当になりがちですが、他者のためなら際限なく頑張れるものなんですよ。実際に起業してみて、そのことがよくわかりました」。今回はそんな栢氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「クリエイターの理想郷をつくる」という経営ビジョンを掲げ株式会社シグナルトークを設立した栢氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/01/12

「川中島の合戦」「信長の野望」「蒼き狼と白き牡鹿」「三國志」「決戦」「真・三國無双」など、数々のヒット作品を世に送り出し、日本を代表するゲームソフト制作会社に成長したコーエー。そのスタートは、1978年に栃木県足利市で産声を上げた、染料卸販売会社だった。現在はテクモと経営統合をし、コーエーテクモホールディングスとなった同社だが、創業者である襟川陽一氏は、いかにしてこの事業を始めることになったのか……。「事業計画などまったくなく、まさに、ひょうたんから駒のような成功でしたが、これからコンピュータがどんどん世の中に浸透していくことは容易に予想できました。そんな時代背景もあって、コーエーは染料販売事業から撤退し、完全にゲームソフト制作事業に移行したのです」。今回はそんな襟川氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

数々のヒット作品を世に送り出し、日本を代表するゲームソフト制作会社に成長したコーエーの創業者である襟川氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/01/12

女性だから? 子育てがあるから?……。仕事も子育ても絶対にあきらめたくなかった。日本を代表するアントレプレナー、石黒不二代氏は、人生に立ちはだかるハードルを、常に自分の意思と力で乗り越えてきた。30歳を超えてアメリカに子連れ留学し、スタンフォード大学でMBAを取得。その後、シリコンバレーでコンサルティング会社を起業。1999年、ネットイヤーグループのMBOに参加し、現在は同社の社長兼CEOを務めるリーダーだ。「今後、大手広告代理店なども交えた、競争と切磋琢磨が激化していくでしょう。そこで当社はもまれながらも、常にナンバーワンを維持し、顧客のビジネスの成功に貢献していく。このデジタルマーケティング市場自体を大きく育てることにも、大きなやりがいを感じています」。今回はそんな石黒氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

30歳を超えてアメリカに子連れ留学し、スタンフォード大学でMBAを取得した日本を代表するアントレプレナー、石黒不二代氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/01/12

株式会社コロプラ――。世界に類を見ない、「位置ゲー」(コロプラの登録商標) という概念を、広く世の中に浸透させた位置情報ゲームのパイオニアである。常に人が持ち歩く携帯と位置情報を使い、リアルとバーチャルの世界をエンターテインメントで軽やかにつなぎながら、新たなマーケットを開拓し続けている。同社の代表を務める、馬場功淳氏が、会社員時代(2003年)に開発した「コロニーな生活」(後の「コロニーな生活☆PLUS」)は、昨年(2010年)大ブレイク! 上期「日経ヒット商品番付」東前頭筆頭に選ばれるなど、飛躍的に会員数増に成功した。「多くの人にとって通勤時間は苦痛ですよね。『コロプラ』では、通勤距離が長い人ほど儲かる仕組みになっていますので、遠距離通勤者ほど報われる。日常の移動が楽しくなることが、大きな魅力だと思います」。今回はそんな馬場氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

世界に類を見ない、「位置ゲー」という概念を、広く世の中に浸透させた位置情報ゲームのパイオニア、株式会社コロプラ代表、馬場氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/01/12

一般雑貨、エコ雑貨、ヘルスケア雑貨などの企画、製造、販売を手掛ける5つの事業会社を抱える純粋持株会社のトランザクションが、昨年(2010年)10月、JASDAQスタンダード市場への新規上場を果たした。エコ雑貨製品を中心としたファブレスメーカーとして、企画・デザインから製造・品質管理・販売までをワンストップで行う雑貨事業を展開している。同社を25歳で立ち上げ、育て上げてきたのが、石川諭氏である。「失うものなんて何もありませんでしたから、不安はまったくありませんでしたね。ただ、すぐに自社でオリジナルの雑貨製品がつくれるほど潤沢な資金はありません。そこで最初はサラリーマン時代にお世話になったアパレル会社や百貨店に営業に出向き、ニーズを聞き出しながら、販促用雑貨の受託生産からスタートしました」。今回はそんな石川氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

エコ雑貨製品を中心としたファブレスメーカー株式会社トランザクション代表、石川氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/01/12

アウトドアをこよなく愛する起業家、黒野崇氏。長年、フィットネスクラブや一次予防の現場で運営に携わり、いつも疑問に感じていたこと。「なぜインドアだけなのか?」。従来日本では非日常のレジャーとしての「アウトドアスポーツ」が、神奈川県・葉山町の住民の日常生活に取り入れることができるか? アウトドアとフィットネスを融合した考え方、その可能性を求めて、徒手空拳のテストマーケティングを開始。その2年後に誕生したのが、「BEACH葉山アウトドアフィットネスクラブ」である。黒野氏が創出した「アウトドアフィットネス」という新市場は、自身の予測を超えるスピードで世の中に浸透し続けている。「自分が考えるビジネスモデルは、40坪程度の場所を確保し、500人の会員が集まればOK。初期投資は通常のフィットネスクラブの10分の1、ランニングコストも3分の1以下で済む。利用するのは世界一大きなプールである海(笑)、また、公園や里山も自由に使えるという冗談みたいな提案です」。今回はそんな黒野氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「自然の中で身体を動かす心地よさ、楽しさ」の合致点を模索し、「アウトドアフィットネス」という新市場を創出した黒野氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/01/12

渋谷から始まった活動が全国、そして海外へ。「シブヤ経済新聞」とは、PR会社・花形商品研究所の代表を務める西樹氏が2000年4月に立ち上げた、広域渋谷圏と呼ぶ「渋谷」「青山」「原宿」「代官山」「恵比寿」の街ネタを提供しているニュースサイトである。ためしに一度アクセスすると、そのニュースの狙いの確かさからリピーターになる人が多いという。そして2011年3月現在、同サイトは国内58エリア、海外4エリアの「みんなの経済新聞ネットワーク」に広がった。「最近、僕らは『街の記録係』と呼ばれているんです。事実を記録してひたすらニュースを書き、それを蓄積していく。シブヤ経済新聞はもう10年を過ぎまして、シブヤに関する情報が一番集まっている自負があります」。今回はそんな西氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

広域渋谷圏のビジネス&カルチャーニュースを配信する情報サイト「シブヤ経済新聞」設立者、西氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

体長40cm前後のロボット「ROPID(ロピッド)」が動き始める。まずは腕を上げ、顔を向け、挨拶。すると、これまでのロボットのイメージを覆す、中腰にならないスムーズな二足歩行、しゃがむ、走る、跳び上がる――驚きの動作。開発したのは「ASIMO」のホンダでも「AIBO」のソニーでもない。それは、2003年にロボ・ガレージを個人で創業したロボットクリエイター・高橋智隆氏。学生時代から、美しいデザインで身をまとい、高い機能を搭載したロボットを、たった一人、しかも手づくりでつくり続けているのだ。「大量生産時代の次はまた個の時代。個人のセンスや発想で社会や大企業をも牽引できるようになった。私のビジネスモデルのメリットは、ただの下請けにならないこと。自分で勝手に考えてロボットをつくって、見せびらかしても、それに共感してくれる企業からしか依頼はきません。でも、結果として好きな仕事しか依頼されないわけですから、それでいいんです」。今回はそんな高橋氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

これまでのロボットのイメージを覆す「ROPID(ロピッド)」開発者、高橋氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

道路の陥没を防止するため、世界初の「路面下空洞探査システム」を実用化。さらに、対人地雷探知装置「マイン・アイ」を開発し、タイ・カンボジア国境周辺の地雷除去にも貢献。冨田洋氏が代表を務める、インフラ・セキュリティ・サービス企業、ジオ・サーチは、今日も、地中や構造物に生じた見えない危険を探索し、世の中の人々に安全を提供し続けている。社会起業家の一面も併せ持つ冨田氏は、創業以来、常に“世の中に存在する困り事”を見渡しながら、社会に役立てる新たな技術を開発してきた。「誰だって本当は人の役に立ちたい。それも、自分の得意技を通じて。これこそが、生き方と働き方のベストマッチングです。その時ほど、脳が喜ぶことはないんですよ。結局、儲かった・儲からないだけでは本気で脳は喜んでくれないんです」。今回はそんな冨田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

地中や構造物に生じた見えない危険を探索し、世の中の人々に安全を提供し続けているジオ・サーチ代表、冨田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

「僕の夢は爆弾の開発者になって、できるだけ多くのイスラエル兵を殺してやること」――。偶然導かれたパレスチナ・ガザ地区。1999年1月に、22歳の関根健次氏は、ある少年からそんな話を聞いた。食品会社、IT会社での勤務を経て、本気で世界平和を生み出す会社「ユナイテッドピープル」を立ち上げたのが2002年。様々なハードルを乗り越えながら、約10年の時を要したが、同社は世界中のNGO・NPOに年間数千万円の寄付を届ける株式会社となった。「これからは“しょうがない”を死語にしないといけないですね。今、こういう社会をつくりたいから、今、こういう事業をやりたいから、今の社会を変えてでも絶対にやるっ! やり続けるっていう気概が必要だと思います。社会情勢とか、国が置かれた状況とか、景気・不景気とか、全く関係ないですよ!」。今回はそんな関根氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

世界中のNGO・NPOに年間数千万円の寄付を届ける本気で世界平和を生み出す会社「ユナイテッドピープル」創設者 関根氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

1997年7月1日、ウェディングビジネスで起業のスタートを切った、株式会社ポジティブ ドリームパーソンズ。同社を立ち上げた杉元崇将氏は、2008年の第二創業期に、ウェディング専門企業からの脱却を宣言。そして今、ホテル、ウェディング、レストラン、フラワー、バンケット、コンサルティングと、6つの事業領域をターゲットに定め、感動に満ち溢れる日本創りに注力し続けている。「自分が成長していくんだ、学び続けるんだと思ったことの延長線上に、大きな貢献を果たしていけるであろう明確な目標を、僕も含め、これから次代を背負っていく日本人は持たないといけないと考えています。現状がこうだからできないなど、ネガティブな志向は人間をダメにします」。今回はそんな杉元氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

感動に満ち溢れる日本創りに注力し続けるポジティブドリームパーソン代表 杉元氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

26歳、独身、子どもなし――。2005年4月、ひとりの青年が、ある社会問題を解決するために立ち上がった。その社会起業家の名は駒崎弘樹。特定非営利活動法人フローレンスの代表理事として、東京・江東区でスタートさせた日本初の共済型・非施設型の病児保育サービスが、保育業界の“闇”に切り込んだ。そして今、同サービスの提供エリアは、東京23区、横浜、川崎、浦安に広がり、約1700人世帯の共働き家庭の不安を取り除いている。また、病児保育以外にも、待機児童、ワーク・ライフ・バランスなどの問題解決にも進出した。「組織の規模が大きくなったこと、早期黒字化を実現できたことよりもずっと、子育てママからの『ありがとう』の声が一番大事。この声をいただくことが、僕たちにとって最高の誇りだと思っています。」。今回はそんな駒崎氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

保育業界の“闇”に切り込んだ日本初の共済型・非施設型の病児保育サービス特定非営利活動法人フローレンスの代表理事 駒崎氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

IT会社だけど鎌倉本社、サイコロで給料のプラスアルファ分を決める「サイコロ給」、給与明細にかかれた他スタッフからの評価メッセージである「スマイル給」、社員から行きたい場所を募って臨時の国内外支社を一定期間設置する「旅する支社」――。どれも普通の会社じゃありえない、ユニークな制度を取り入れながら、急成長しているWebカンパニー。 それが、柳澤大輔氏が学生時代の友人と3人で立ち上げた面白法人カヤックだ。「鎌倉市に本社移し、それから数年で一気に社員数が増えていきました。社員が増えたからといって、社内の雰囲気ややり方は、あまり変わっていません。逆に同じことしていても人数が多いと価値が上がるということがわかりました。これも、何をするかより、誰とするかを、常に考えながら、一緒にものづくりをする仲間を増やしてきたからだと思います」。今回はそんな柳澤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

どれも普通の会社じゃありえない、ユニークな制度を取り入れながら、急成長しているWebカンパニー面白法人カヤック 柳澤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

「出版=版を出す」ではなく、「パブリック(公)にする」こと。人や物語や知識・情報をパブリックにするのがパブリッシャーの役割。2002年、英治出版は「パブリッシャー宣言」を世の中に向けて発信した。以来、「ブックファンド」の手法など、著者の夢を背伸びさせる応援ビジネスで、一般の出版社とは一線を画したユニークな事業展開を続けている。そんな異色の出版社を創業したのが、同社の代表を務める原田英治氏である。「会社の規模など数値的な目標よりも、英治出版がいかにパートナーの力を引き出しながら、社会の中でより有効に機能していくか。いかに大きなソーシャルインパクトを残していくか。それが自分たちの評価尺度としては合っている気がしています」。今回はそんな原田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

著者の夢を背伸びさせる応援ビジネスで、一般の出版社とは一線を画したユニークな事業展開を続けている英治出版株式会社創業者 原田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

「一太郎」「ATOK(エイトック)」で、コンピュータのキーボード日本語入力の快適さを私たちに提供してくれた、ジャストシステム。1979年に同社を夫婦二人で創業し、上場企業に仕立て上げたのが浮川和宣である。そして、2009年に同社を後にし、彼は60歳にして二度目の起業を果たす。それが、テクノロジーホールディング・カンパニー、“MetaMoji”だ。コアテクノロジーの調査研究、開発に特化し、具体的な製品やサービス開発、経営戦略は、別につくった各事業会社に任せるのだという。今、手書き入力アプリ「7notes」が、売れに売れている。「私がジャストシステムを創業したのが、1979年ですから、ちょうど30年経った年に会社を離れたわけです。また、30歳で最初の起業を経験し、これまたちょうど60歳で新しい挑戦を始めたと(笑)」。今回はそんな浮川氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

1979年にジャストシステムを夫婦で創業し上場企業に仕立て上げ、60歳にして二度目の企業を果たした浮川氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/02/23

パソコン、家電を中心としたネット通販で、年商260億円! 現金仕入れで激安価格を実現し、価格.comを徹底研究、そしてフル活用し、ネット通販業界で独自のポジションを築いた株式会社アベルネット。多くのユーザーが、同社の運営する「PCボンバー」で、嬉しい激安家電を手に入れている。1998年、勤務先の同僚と二人、この会社を立ち上げたのが、代表取締役を務める小山励基氏だ。「ライバル会社もありますが、彼らは楽天をうまく使う、ヤフーショッピングをうまく使うなどなど、やり方はいろいろあります。うちが成功した理由はいくつかあると思いますが、やはり価格.comの使い方を徹底的に研究して、試行錯誤を繰り返しながら、常にライブ感覚で一番いい方法を探ってきたことにあるのではないでしょうか。」。今回はそんな小山氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

パソコン、家電を中心としたネット通販で、年商260億円!ネット通販業界で独自のポジションを築いた株式会社アベルネット代表取締役 小山氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

最新の情報技術を駆使し、危機に対する迅速な救援と復旧、復興と予防に貢献することを企業理念に置いて事業を展開する、株式会社レスキューナウ。同社を創業し、現在は、株式会社レスキューナウ危機管理研究所の代表として、世の中にレスキューナウの存在意義、その重要性を広めるための活動に注力しているのが、市川啓一氏である。「結局、危機は起こります。危機を避けられたのに、知らなかったという悲劇をなくしたい。今回も、あの大津波が来ることを想定しなかったこと、それが悔しくて仕方ないのです。今の時代よりよいかたちの情報の共有化が進めば、より安心、安全な暮らしが保たれるはず。人間の英知とコミュニケーション能力を最大限につなぎ合わせ、これからも人の役に立つ仕事を続けていきたいと思っています。」。今回はそんな市川氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

『人間の英知とコミュニケーション能力を最大限につなぎ合わせ、これからも人の役に立つ仕事を続けていきたい』と語る株式会社レシュキューナウ創業者、市川氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

上質で豊かなライフスタイルを提案する生活雑貨店「off&on(オフノオン)」を全国に展開しているレプハウス。同社を創業し、ここまで成長させてきた男、それが堀口康弘氏である。19歳で夢破れ、徒手空拳で渡ったアメリカでは倉庫整理から店長にのし上がり、一時帰国していた日本で出合った経営者の一言で、今のビジネスにつながった。「そもそも、雑貨ビジネスに制限などないと思っています。振り返ってみると、食器の卸売りからスタートし、自分の手がけたいことを拡大し続けた結果、実に幅広い業界の方々と知己が生まれ、それによって、キッチンウエア、ステーショナリー、インテリアファブリック、アロマグッズ、化粧品などの商材を扱うようになったわけですからね。これからも、事業を拡大させていく過程で、いろんな新しいニーズが見えてくると思っています。」。今回はそんな堀口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

上質で豊かなライフスタイルを提案する生活雑貨店「off&on(オフノオン)」を全国に展開しているレプハウス創業者、堀口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

一躍、モバイル系ソーシャル・アプリケーション・プロバイダー(SAP)上位のポジションに躍り出て、今なおスピード成長を継続する株式会社gumi。2011年に入り、「さんごくっ!」「任侠道」「デュエルサマナー」と、GREE上でソーシャルゲームの大ヒット作品を連発している。同社を創業し、100名を超えるスタッフを率いるアントレプレナーが、国光宏尚氏である。SAP業界で世界一を取ることを本気で目指す同社のかけ声は、"打倒!Zynga"。様々な紆余曲折を経て、このフィールドに辿り着いた国光氏のビジョンは大きく、そして明確だ。「今、限りなく少ない、将来、生き残ることができる、SAPの上位のうち1社のポジションにいることは間違いないと思います。ただし、当社の目標はすでに決まっていて、世界一を取る。そのために、年内にはフィーチャーフォンの日本一を固めつつ、そこでヒットしたゲームをスマホにも展開し、スマホでも日本一を固める計画です」。今回はそんな国光氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ソーシャルゲームの主軸を置いたビジネスを展開し、SAPベンチャーとして急成長中の株式会社gumi創業者、国光氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

誰だって聞いたことがある、世界のビッグブランドのデニムを、実はニイヨンイチがつくっている。一本3万円もするデニムブランド「DELAY by Win&Sons」の売れ行きが右肩上がり――。“241 CO.”は、日本国内のブランドはもとより、世界のビッグブランドからも、“こだわりの・ものづくり魂”を認められた、岡山県倉敷市児島に本拠地を構えるベンチャー企業だ。そして、この会社をけん引し、さらなる高みを目指しているアントレプレナーが、藤井英一氏である。「いつだって“絶対に日本一になる”と言い続けてきました。もちろん、国内だけの事業展開に留まるわけではない。日本で世界最高水準の商品をつくって、それをどんどん海外に広げていきます。そして、世界の主要都市すべてに、支社をつくるのが今の夢です」。今回はそんな藤井氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

世界のビッグブランドからも、“こだわりの・ものづくり魂”を認められた、岡山県倉敷市児島に本拠地を構える“241 CO.”創業者、藤井氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

リピート通販業界に特化した、売上支援サービスで、新しいかたちの広告ビジネスを構築。ファインドスターグループの、ニッチメディアを含めた最適な媒体選定、顧客の心をつかむクリエイティブとCRM(リピート支援)の提供が、多くの企業から感謝の声を集めている。この会社をけん引し、さらなる高みを目指しているアントレプレナーが、内藤真一郎氏である。「今、従来の広告代理店が展開してきた、“広く告げる”というビジネスモデルはすでに終わっていると感じています。突き詰めて我々のビジネスを考えてみると、顧客の課題を解決し、売上を高め、利益を残す、売上支援事業だと思うのです。そのために一番必要なものは何か。答えは、効率よく、リピーターとなりえる新規顧客を獲得し続けることができる仕組み、であるはずです」。今回はそんな内藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

リピート通販業界に特化した、売上支援サービスで、新しいかたちの広告ビジネスを構築。ファインドスター創業者、内藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

生き馬の目を抜く苛烈な競争が強いられる、IT業界。そんな世界に、弱冠20歳、妻子持ちの学生起業家がたったひとり、個人事業主として参戦したのは、2003年のこと。翌年の法人化から9期目となる今、業容はいっきに拡大し、連結従業員数約100名、連結子会社7社を抱えるグループ企業に成長している。地道に歩み、勝ち続け、生き残ったのだ――。そんなサイブリッジグループの舵を取るのが、29歳の代表取締役社長、水口翼氏である。「就職して働いたとしても、リストラや倒産、転勤など、他者の意思決定によって自分や家族が不幸になる可能性があります。でも、起業はすべて自己責任の世界ですが、自分の意思決定と、継続の努力でリスクをコントロールすることができます。仮に失敗したとしても、自分の意思決定の結果であれば、納得できるんじゃないか……そう考えて起業を選択したんですよ」。今回はそんな水口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

2003年、弱冠20歳、妻子持ちの学生起業家がたったひとり個人事業主として参戦したサイブリッジグループ創設者、水口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

第一次産業、第二次産業、第三次産業のといった既存ビジネスの枠組みを、すべて取り払った“生販直結モデル”で、躍進を続ける新・外食企業がある。自社で養鶏場をつくる、漁船を持ち定置網漁を行う――。かつて、ここまでの取り組みをした企業があっただろうか……。エー・ピーカンパニーを設立し、この仕組みをゼロから構築したのが、同社の代表を務める、米山久である。「とてつもなく大きな責任を負ってしまった。もう、自分たちの夢を叶えようといった、甘い段階ではなくなったということです。そして、雛の誕生から仕事にかかわることが、スタッフのモチベーションを格段に高めてくれた。自分たちは肉の塊を扱っているのではなく、大切な生命を使わせてもらっている。そして、地方の一次産業の活性化を担っている」。今回はそんな米山氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

第一次産業、第二次産業、第三次産業のといった既存ビジネスの枠組みを、すべて取り払った“生販直結モデル”で、躍進を続ける新・外食企業エー・ピーカンパニー設立者、米山氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

高校卒業、父親の経営する飲食店チェーンに就職し、23歳の起業を心に誓った。自分への約束どおり、2006年4月、5年で貯めた500万円を元手に1店舗目の居酒屋を開業し、6年の月日が流れた。そして、セクションエイトの創業者である横山淳司氏は、ファッショナブルな制服を身にまとった、かわいい女性スタッフたちの接客が大人気の「居酒屋はなこ」の多店舗化に成功。今や、同社の年商は約30億円に達する勢いだ。「この年商をつくってくれているのは、“はなこスタッフ”、厨房の料理長、店を切り盛りする店長など、一人ひとりの仲間たちです。すでに2名の社員が、独立を果たしました。これからも、スタッフたちの『独立したい』『有名になりたい』という夢を応援していきます」。今回はそんな横山氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ファッショナブルな制服を身にまとった、かわいい女性スタッフたちの接客が大人気の「居酒屋はなこ」の多店舗化に成功したセクションエイト創業者、横山氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

2007年、大学に入学した後に休学、その後自主退学し、徒手空拳でITビジネスを起業した。3年目に方向転換を図り、スマートフォン向けリワード広告事業に参入。アプリ開発者のマネタイズを助け、広告主にはCPI(Cost Per Install)のプロモーションを提供する、WinWinのプラットフォーム「メタップス」で、今後、急成長が見込まれるアジアを押さえ、その後、北米へ――。そんな同社をけん引する25歳のCEOが、佐藤航陽氏である。「スピードを持って国の市場を押さえていくことに注力しています。どの国で1位になれるか――その戦略は、グーグルやフェイスブックの戦略と近いですね。シンガポールからアジア市場を押さえ、日本を押さえ、中国を押さえといったことを繰り返し、メタップスのネットワークを拡大していくということです。おそらく最後は北米が大きな勝負の場となるでしょう」。今回はそんな佐藤氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

アプリ開発者のマネタイズを助け、広告主にはCPI(Cost Per Install)のプロモーションを提供する、WinWinのプラットフォーム「メタップス」創業者、佐藤氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

丸みを帯びたあの美しい機体を実作し、フライトに成功! そう、2006年、『風の谷のナウシカ』の愛機、“メーヴェ”が、本当に空を飛んだ――。その立役者が、有限会社オリンポス。日本中の飛行機ファンを魅了した飛行機開発会社の本社は、東京・青梅市にある。そして、同社を設立し、今なお、子どもの頃からの夢を追いかけ続けている経営者が、四戸哲氏である。「日本にも、戦前には簡単なグライダーをつくって飛ばす文化がありました。欧米のような、航空スポーツ文化をできるだけ早く、日本でも実現したいと思います」。今回はそんな四戸氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

『風の谷のナウシカ』の愛機、“メーヴェ”が、本当に空を飛んだ。その立役者、有限会社オリンポス創業者、四戸氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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InterviewWatch 登録日: 2016/03/10

人気の新聞社を2年で退職して、ニート生活へ……。その後に転職したベンチャー企業で取締役となるが、社長の放漫経営により入社1年後に倒産……。その後に立ち上げた会社も5年間は低迷飛行を続けた……。そんな遠回りの果てに、株式会社ペルソンの代表、渡邊陽一は、自分の使命ともいえる仕事と出合うことになる。それが、講師派遣ナンバーワンサイト「講演依頼.com」の運営だ。「人は人との出会いによって、変わることができる。“価値観の伝達”が当社の理念です。そして、当社の理念を世の中に広く知らしめていくことが、私に与えられた使命であると思っています」。今回はそんな渡邊氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

講師派遣ナンバーワンサイト「講演依頼.com」の株式会社ペルソン代表、渡邊氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。

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