木村正明きむらまさあき
最終更新:2015-10-08
株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブ
代表取締役 - 1968年 / 岡山県出身
1968年、岡山県岡山市生まれ。小学時代は野球少年。中学でサッカーを始め、競技の奥の深さにのめり込む。以来、37歳になるまでプレーを続けた。高校 卒業後は東京大学法学部へ進学。父の急逝により、大学時代は生活費を稼ぐバイトに明け暮れた。1993年3月に同大学を卒業。最高の成長機会を求めて、 ゴールドマン・サックス証券に入社する。熾烈な競争に勝ち残り、2003年、35歳でゴールドマン・サックス証券のマネージング・ダイレクター(執行役 員)に就任。社員の採用責任者も務めるように。2004年、地元・岡山の同級生から、ファジアーノ岡山の運営資金の寄付を依頼される。そのことがきっけと なり、2006年、Jリーグを目指す同クラブ株式会社化の際、今度は社長就任の要請が届く。さらなる成長機会であると、その申し出を引き受け、ゴールドマ ン・サックス証券を2006年5月に退社。同年7月に設立した株式会社ファジアーノ岡山スポーツクラブの代表取締役に就任した。
(http://ja.wikipedia.org/wiki/木村正明より)
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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08
日本のサッカーリーグにはJ1からJ9までが存在し、約8300ものチームが毎年しのぎをけずっている。うち、J1、J2がプロクラブと言われ、J3のJFLを含め、50~80のクラブがプロクラブ化を虎視眈々と狙っているという。そんな競争の激しい世界で、創立3年目にして、地域リーグからJFL、そして昨年12月、とんとん拍子にJ2昇格を決めたのがファジアーノ岡山である。ちなみにファジアーノとはイタリア語でキジという意味。岡山ゆかりのおとぎ話“桃太郎伝説”に登場する鳥の名前から付けられた。ゴールドマン・サックス証券の執行役員という、誰もがうらやむ地位を捨て、設立当時、資本金500万円のファジアーノ岡山スポーツクラブ代表に就任したのが、木村正明氏だ。「人生は一度きり。岡山への郷土愛と、恩返しを志に、挑戦を決断しました」と語る。今回は、そんな木村氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

創立3年目にして、地域リーグからJFL、そしてJ2昇格を決めたファジアーノ岡山の創立者木村氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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