鈴木 誠すずきまこと
最終更新:2015-10-08
株式会社ナチュラルアート
代表取締役 - 1966年 / 青森県出身
1966年、青森県生まれ。県立青森高校卒業後、慶應義塾大学商学部へ進学。大学卒業後の1988年、東洋信託銀行(現・三菱UFJ信託銀行)に入社。最 初の5年間、虎ノ門支店で営業を担当した後、本店営業部へ異動。ベンチャー投融資、上場関連業務を担当する。野村證券企業部への研修派遣を経て、9年10 カ月勤めた東洋信託銀行を退職。自ら起業することを決め、人脈構築、事業リサーチのため、慶應義塾大学院経営管理研究科(ビジネススクール)入学。2年間 のリサーチ活動の末、日本の農業再生ビジネスの必要性と可能性を発見。2000年、同研究科を卒業。ある農業法人グループから声をかけられ、2001年、 日本ブランド農業事業協同組合の設立に参加し、事務局長に就任。2年後の2003年、株式会社ナチュラルアートを設立。代表取締役に就任した。農畜産物の 生産・加工および販売。農業コンサルティング(再生事業、マーケティング、ファイナンス)を事業内容とし、設立から5年半で、年商170億円の企業体に成 長させた。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=756より)
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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08
東京千代田区一番町。皇居にも近く、いわば東京のど真ん中だ。この場所に本社を構える株式会社ナチュラルアートの事業内容はなんと、農業ビジネスである。今はやりの高級農畜産物の流通企業などではない。自社で直営農場を持ち、北海道から沖縄まで、1000軒を超える提携農家とともに、青空の下農地畜産物をつくり、そして販売することを主目的とした企業なのだ。同社を立ち上げた鈴木誠氏は、非農家の出身だという。今、食料危機が世界を襲い、日本の食料自給率も40%を切っている。「食料安保を誰もやらないなら、自分がやるしかない」と、まさに徒手空拳で農業の世界に飛び込んだのだ。「正直言いますと、僕は農業生産者と一緒に畑を増やす作業に専念したい。ただ、これから立ち上げようと計画している農業ポータルサイトも、農業再生ファンドも、誰もやってくれないから当社がやらざるを得ないんです」と、鈴木氏は言う。今回は、そんな鈴木氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

「食料安保を誰もやらないなら、自分がやるしかない」と、まさに徒手空拳で農業の世界に飛び込んだ鈴木氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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