高田 明たかたあきら
最終更新:2015-05-27
株式会社ジャパネットたかた
代表取締役 - 1948年 / 長崎県出身
1948年、長崎県平戸市生まれ。1971年、大阪経済大学経済学部卒業後、阪村機械製作所に入社し、約3年間勤務。入社1年後にヨーロッパに駐在し、得意の英語を使い、西欧、東欧、北欧などで機械営業に従事する。退職後、友人と翻訳会社の立ち上げを計画するも頓挫。それがきっかけとなり、生まれ故郷の平戸へUターン。1974年、父が経営していた「カメラのたかた」に入社。観光写真撮影販売の仕事から始め、事業拡大に尽力する。1986年に独立して、株式会社たかたを設立。社長に就任。1990年にラジオショッピング、1994年にはテレビショッピング事業に参入し、通信販売事業の展開を本格スタート。その後も、新聞折込、CS放送、インターネット、携帯サイトなどのメディア戦略を順次展開し、通信販売業界のトップクラスに君臨する企業へと成長させていった。1999年、ジャパネットたかたに社名を変更。2004年、元社員による顧客情報流出事件に見舞われるも、迅速な対応で難局を乗り切る。現在、年商1000億円を突破し、さらなる成長を遂げている。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=423より)
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InterviewWatch 登録日: 2015/05/27
ジャパネットたかた社長、高田明氏をイメージしたCGキャラクター、「ミスターJ」が登場する同社のコマーシャルが今日もテレビで流されていた。今やほぼ 毎日、なんらかのメディアで同社がさまざまな商品を通信販売するコンテンツを見ることができる。長崎県佐世保市を拠点とし、ジャパネットたかたが日本中の メディアに浸透していくまでの経緯と、その裏側にはどのような努力があったのだろう。高田氏は言う「商品の先にあるもの。それは感動だったり、楽しさだったり、人の生活を変えるもの。私はその感動をお客様に伝えていきたいのです」と。そのとおり、高田氏が商品にメッセージという魂を込めることで、無機質な 印象だった商品が生き物となる。インタビュー中に何度も高田氏は「信頼」「責任」という言葉を口にされた。その対象は、消費者はもちろん、取引先に、自社の社員に、そして地球環境までと幅広い。ジャパネットたかたが継続発展してこられた本質は、この「信頼」「責任」を守りとおしてきたことにあるのではない だろうか。今回は通販業界の風雲児とも呼ばれる高田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語ってい ただいた。

通販業界の風雲児、高田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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