山口絵理子やまぐちえりこ
最終更新:2015-10-08
株式会社マザーハウス
代表取締役社長 - 1981年 / 埼玉県出身
1981年、埼玉県生まれ。小学生時代にいじめに遭い、中学ではその反動から非行に走る。中2で柔道を始めたことで、更生。柔道を極めるため、大宮工業高校に女子部設立を嘆願し、進学。最後の大会で、全国7位となる。柔道人生とはここでお別れ。半年間必死で受験勉強に取り組み、慶應義塾大学総合政策学部へ。大学4年次、ワシントンにある国際機関でインターンを経験。大学卒業後、単身バングラデシュに渡り、BRAC大学院開発学部修士課程に入学。現地で夜間の大学院に通いながら、日本の大手商社のダッカ事務所にてインターン。商社の仕事で訪れた見本市会場で、ジュートバッグと出逢う。自ら描き起したデザイン画と、バイトで溜めた資金を携え、現地工場との生産交渉を開始。幾多のハードルを乗り越え、完成した160個のバッグを持ち帰り、2006年3月、株式会社マザーハウスを起業。現在も、ビジネスを通じた健全で持続可能な途上国支援のために走り続けている。「フジサンケイ女性起業家支援プロジェクト 2006」最優秀賞受賞。著書に『裸でも生きる』(講談社)がある。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=786より)
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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08
自らの目で見たもの、そして自らが得た経験が、すべて山口絵理子氏の行動の背景にはある。言い方を変えれば、どこかからともなく流れてきた客観的な情報では、彼女は動かないということ。まだ27歳と、あどけなさが残る山口氏だが、ここまで自分という機軸をぶらさずに生きる姿勢には感服させられる。マザーハウスのバッグはすべて、バングラデシュという、いわゆる途上国メイドだ。誰もが安かろう悪かろうをイメージする商品を、ここまで短期間でブランディングし、多くのファンをひきつけた理由。それは、彼女の生き方に裏打ちされたストーリーの存在があるようだ。山口氏が教えてくれた。「うちのお客様は、老若男女本当に幅広いんです。品質はもちろん確かですが、それよりも、『元気をもらいたかったから』『マザーハウスの活動を応援したいから』、そんな購買動機を持たれる方々が多いですね。これからも正しい途上国支援のかたちを模索し続けます」。今回は、そんな山口氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

ビジネスを通じた健全で持続可能な途上国支援のために走り続けている山口氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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