冨安徳久とみやまのりひさ
最終更新:2015-10-29
株式会社ティア
代表取締役社長 CEO - 1960年 / 愛知県出身
1960年、愛知県生まれ。高校卒業後、現役で大学に合格するも、入学式直前、偶然紹介されたアルバイトで運命の仕事に出会い、大学進学を辞退。18歳で、葬儀社の正社員となる。ある先輩の指導のもと、この仕事が自分の天職と思えるように。2年半の勤務後、実家の愛知県にUターン。別の葬儀社に転職し、 25歳で名古屋支店の店長に抜擢される。病院営業のエキスパートとなるが、会社の経営方針に納得できず、自ら起業することを決意。その後、病院専門営業の契約社員として3年間働きながら、起業準備を進めた。葬儀ビジネスの社会性を高める事業計画に共感したエンジェル数名から出資を獲得。1997年7月7 日、株式会社ティアを設立し、代表取締役に就任した。翌年1月、1号会館「ティア中川」をオープン。適正料金を完全開示するという業界革命を起こす。 2006年、上場計画を1年前倒し、名証セントレックスに上場(現在は、名証2部に指定替え)。中部地方初の葬祭上場企業となる。2009年8月現在、直営店、フランチャイズ合わせて34会館を運営。生涯スローガンである「日本で一番“ありがとう”と言われる葬儀社」を目指している。著書に『ぼくが葬儀屋さんになった理由』(講談社2009.9.17再発刊)など多数。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=848より)
Interview Watch インタビューウォッチ
起業
人生
InterviewWatch 登録日: 2015/10/29
『価格は、遺族の家の門構えと自家用車を見て、職業を聞いてから決める』『生活保護者の葬儀は受け付けない』18歳で天職と思える葬儀社の正社員となり、 その後、18年間を雇われの身ですごした青年・冨安徳久氏は、許せない業界の不文律をいくつも目の当たりにしてきた。37歳、業界の反発を知りつつも、料金を完全開示し、葬儀業界の社会性を高めるという信念をもって起業を果たす。愚直な資金調達、激しいバッシングとの闘い、様々な試練を潜り抜けながら、中部地方初の葬祭上場企業に育て上げた。「葬儀業界のナンセンスな部分を残らず切り取って、業界自体を変えなければいけなかった。透明でわかりやすい適正価格で、ご遺族の悲しみに寄り添った葬儀をご提供する。この当たり前の世界をつくるために、起業という選択肢を選ばざるを得なかったんです」と語ってくれた冨安氏。今回は、そんな冨安氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

業界の反発を知りつつも、料金を完全開示し、葬儀業界の社会性を高めるという信念をもって起業を果たした富安氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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