浅田剛治あさだたけはる
最終更新:2015-06-30
株式会社ノバレーゼ
代表取締役社長 - 1969年 / 大阪府出身
1969年、大阪府生まれ。不動産関連会社を経営する厳しい父の元、6人兄弟の次男として育つ。私立清風南海高校から慶応義塾大学商学部へ進学。大学卒業 後はリクルートへ入社。配属は自社の新卒学生を採用する人材開発部だった。父親が病に倒れたことがきっかけとなり、やむなくリクルートを1年半で退職。す ぐに家業のひとつである名古屋の結婚式場の経営を任された。3年ほどかけて会社のリストラクチャリングを行い、赤字だった業績をV字回復させる。その後も 順調に事業拡大していくが、経営の方向性が父とかみ合わず、30歳の時に退社。2000年、自らノバレーゼの前身となる株式会社ワーカホリックを起業。ド レスショップの経営と婚礼プロデュースから事業をスタートさせるが、業績の急拡大に貢献した某料亭から、契約期間の途中で契約解除を通告される。やどかり 経営の弱さを痛感し、経営方針を自社で立ち上げるゲストハウスの運営に方向転換。満を持して2003年、名古屋市郊外に開業した「アマンダンテラス」が大 ブレイク。その後も東名阪を中心に多店舗展開を継続し、2006年10月、ノバレーゼは東証マザーズに新規上場を果たした。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=648より)
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InterviewWatch 登録日: 2015/06/30
少子化の影響もあり、今や生き馬の目を抜く熾烈な競争が繰り広げられているウエディングマーケット。時代の流れとともに、専門式場、ホテル、レストラン、ゲストハウスと、結婚披露宴を行う場所も多様化してきた。浅田剛治氏が率いるノバレーゼが産声を上げたのは2000年。ゲストハウスウエディングという言葉があまり知られていない頃から、このウエディングスタイルに着目した経営を続けてきた。そして現在も、モダン建築の都市型ゲストハウス「モノリスタイプ」と、リゾート感覚の郊外型ゲストハウス「アマンダンタイプ」を二本柱とし、毎年約30%の売り上げ拡大を継続している。業績好調の要因を浅田氏に聞くと、「徹底した顧客志向、そして人材こそ命。この経営スタイルを続けているだけです」と言う。しかし、浅田氏が語るこの言葉の裏側には、幾多の試練、挫折、挑戦の奇跡が隠されていた。後進を育て、45歳で引退するという計画を立てている浅田氏、今回はそんな彼に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

45歳で引退するという計画を立てている浅田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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