山崎正弘やまざきまさひろ
最終更新:2015-09-24
株式会社ワイ・ジー・ケー
代表取締役社長 - 1951年 / 山形出身
1951年、山形県生まれ。父親の影響で、無類の自動車マニアに。小学校の卒業文集の作文に書いた夢は「大きくなったら自動車をつくる人になる」。その 後、都内私立大学英文科に進学し、運送会社を立ち上げる。かなりの成功を収めるも、5年後に事業を売却し、山形へUターン。1980年、山形市で学習教材 販売会社「山形学習企画」を起業。アイデアが当たり、事業は順調に成長する。1990年、株式会社ワイ・ジー・ケーに組織変更。独自エンジンの研究・開発 を始め、開発結果の検証として自動車レースへの参入もスタート。2000年、競技車両用の高性能エンジン「YR40」を、2004年、一般車用の環境対応 型エンジン「YR20」の開発に成功。米国デイトナ24時間耐久レースをはじめ、欧州などにプライベートチーム「イエロー・マジック」として参戦し、同社 の実力を世界に知らしめた。現在も、ファブレスのエンジン開発メーカーの経営者として、商流の構築に奔走している。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=696より)
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InterviewWatch 登録日: 2015/09/24
ヨーロッパでエンジンが誕生して125年。その生産方法はそれほど進化していないという。大資本が独占しているエンジン関連市場の中、新しいエンジンのあ り方を研究・開発しているベンチャー企業の本社が山形市にある。大手企業にはできない柔軟な発想、協力者をひきつける志と行動力で、世界が振り向く高性能エンジンを本当に開発してしまった男。それが、株式会社ワイ・ジー・ケーの山崎正弘氏である。夢の始まりは、小学校の卒業文集に見て取れる。「大きくなったら自動車をつくる人になる」。幼心で抱いた小さな夢が、40年という長い道のりをかけて、この時代に叶えられようとしている。気高くも美しい蝶「オオムラサキ」が同社のエンジンに付けられたエンブレムだ。このエンブレムが世界中に羽ばたく日は近い。今回は、そんな山崎氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

協力者をひきつける志と行動力で、世界が振り向く高性能エンジンを本当に開発してしまった男 株式会社ワイ・ジー・ケーの山崎氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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