中島 武なかじまたけし
最終更新:2015-05-27
際コーポレーション株式会社
代表取締役 - 1948年 / 福岡県出身
1948年、福岡県生まれ。2歳以降は、東京にて育つ。小学3年ころまでは、内向的な性格だったが、野球を始めるとともに、だんだんと元気な子どもに変貌を遂げる。拓大一校に進学し、応援団と出合ってからは、さらに本能ともいうべき負けず嫌いの性分が開花。拓殖大学では、4年次に応援団長となる。卒業後、就職した航空会社をわずか1カ月で退職。応援団の先輩に誘われ警備会社を立ち上げるも、2年で倒産。その後、金融の勉強をするべく再建管理会社に入社。 10年間ずっと社長の次のポジションとして働く。バブルの到来に乗じて、独立。不動産事業、アンティーク家具、衣料輸入販売などを手がけ、百億円単位のビジネスを仕切る。しかしバブルの崩壊とともに、これらの事業から手を引き、1990年、際コーポレーションを設立。大好きな街、東京・福生にて、イタリアン「ウノクイント」、中国料理「韮菜万頭」を開業し、飲食ビジネスに参入。1994年に、主力業態である「紅虎餃子房」八王子店をオープン。その後も、スピードをもった業態開発、出店展開を進め、現在、約300店の飲食店、物販店を経営している。業界でのあだ名は「飲食界の虎」。飲食ビジネスを目指す若者たちを対象にした私塾「中島塾」も主催。著書に、『ハングリー―日本を明るくするバカ力』(講談社)がある。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=417より)
Interview Watch インタビューウォッチ
起業
人生
InterviewWatch 登録日: 2015/05/27
「紅虎餃子房」「万豚記」「胡同四合坊」など、開業当時は風変わりに感じていた店名だが、今や全国区の繁盛レストランの代名詞となった。これらの飲食店を 経営しているのが、従業員数3000名を超える企業、際コーポレーションを率いるボスであり、飲食界の虎、中島武氏だ。現在、同社は中国料理、日本料理、 西洋料理など、85業態の飲食店、物販店を約300店舗展開中。「成功するかどうか、確かに球を投げてみないとわからないですけど、明らかに失敗するもの は球を投げる前に十分わかるんです」。私塾「中島塾」を開校し、レストランビジネスで独立を目指す若者たちへの指導も開始している。しかし、中島氏が飲食 ビジネスに本格参入したのは、1990年、彼が42歳のときだ。失われた10年と呼ばれる、1990年代に、レイトスターターの中島氏がこの帝国を築き上 げることができた裏側には何があったのか? 今回はそんな中島氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大い に語っていただいた。

今や全国区の繁盛レストランを経営する飲食会の虎、中島氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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