米山 久よねやまひさし
最終更新:2016-03-10
株式会社エー・ピー カンパニー
代表取締役社長 - 1970年 / 東京都出身
1970年、東京都生まれ。高校卒業後の3年間、役者を目指して、劇団の研究生とフリーターの2足のわらじ生活を続ける。ハタチをすぎ、電話回線リセールの販売代理店に就職。初めての営業職ながら、努力を続け、知恵を使ったセールスを展開し、入社半年後に、全国営業成績ナンバーワンを獲得。その後、不動産事業、海外ウエディングプロデュース事業などを立ち上げ、成功に導いた。2001年、株式会社エー・ピーカンパニーを設立し、代表取締役社長に就任。八王子市にダーツバーを開業し、飲食事業に参入。2004年、みやざき地頭鶏(じとっこ)専門居酒屋「わが家」を出店。2006年、宮崎県に農業法人を設立し、自社養鶏場と加工センターを立ち上げる。2008年度外食アワードを受賞。2011年、自社漁船による、定置網漁を開始し、漁業での一次産業への進出も果たす。2012年3月1日現在、「塚田農場」「四十八漁場」など、16業態117店舗を展開中。著書に、『ありきたりじゃない 新・外食』(商業界)がある。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=1267より)
Interview Watch インタビューウォッチ
起業
人生
InterviewWatch 登録日: 2016/03/10
第一次産業、第二次産業、第三次産業のといった既存ビジネスの枠組みを、すべて取り払った“生販直結モデル”で、躍進を続ける新・外食企業がある。自社で養鶏場をつくる、漁船を持ち定置網漁を行う――。かつて、ここまでの取り組みをした企業があっただろうか……。エー・ピーカンパニーを設立し、この仕組みをゼロから構築したのが、同社の代表を務める、米山久である。「とてつもなく大きな責任を負ってしまった。もう、自分たちの夢を叶えようといった、甘い段階ではなくなったということです。そして、雛の誕生から仕事にかかわることが、スタッフのモチベーションを格段に高めてくれた。自分たちは肉の塊を扱っているのではなく、大切な生命を使わせてもらっている。そして、地方の一次産業の活性化を担っている」。今回はそんな米山氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。
第一次産業、第二次産業、第三次産業のといった既存ビジネスの枠組みを、すべて取り払った“生販直結モデル”で、躍進を続ける新・外食企業エー・ピーカンパニー設立者、米山氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
このインタビューについてひとこと