川淵三郎かわぶちさぶろう
最終更新:2015-05-12
財団法人日本サッカー協会
キャプテン - 1936年 / 大阪府出身
1936年、大阪府生まれ。中学では野球部に所属。三国丘高校時代からサッカーで活躍し、61年、早稲田大学商学部入学。大学在学中に日本代表入りを果た す。同大卒業後、古河電工に入社。日本代表として、ローマ・オリンピック予選、ワールドカップ・チリ大会予選、東京オリンピックなどに出場。ベスト8と なった東京オリンピックでは、強豪アルゼンチン戦で逆転勝利を呼び込む同点ゴールを決めた。72年まで現役としてプレー。引退後は、古河電工監督、日本代 表監督などを歴任する。88年、古河産業取締役就任。91年、会社を退職し、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の初代チェアマンに。94年からは、日本 サッカー協会副会長も務め、2002年、日本サッカー協会キャプテンに就任した。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=293より)
Interview Watch インタビューウォッチ
起業
人生
InterviewWatch 登録日: 2015/05/12
1993年、日本初のプロサッカーリーグ、Jリーグは幕を切った。今日、サッカーというスポーツがここまで多くの日本国民から支持されるようになったの は、川淵三郎氏の尽力のおかげといえるだろう。氏のサッカー発展への情熱をかきたてるものは何なのか? そこにはサッカーという概念を超えた、未来の日本 の窮状を救うための、ぶれない理念が常に存在している。日本サッカーリーグのチェアマンから、日本サッカー協会のチェアマンへ。そして、「百年構想」、 「キャプテンズ・ミッション」、「2005年宣言」……、常にその志と理念を進化させながら発信し、実現に向けて奔走を続ける川淵キャプテン。今回は、そ んな川淵三郎氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)の初代チェアマンである川淵氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
このインタビューについてひとこと