吉田潤喜よしだじゅんき
最終更新:2015-10-08
Yoshida Group
代表取締役会長 - 1949年 / 京都府出身
1949年、京都府生まれ。7人兄弟の末っ子。在日コリアン2世として育つ。片目の失明などのハンディからいじめを受けるが、根性と腕力で大逆転。成長と 共に「ごんたくれ」ぶりを発揮し始める。大学受験の失敗を機に、1969年1月24日、日本脱出だけを目的に徒手空拳で単身渡米。波乱万丈のアメリカ生活 をサバイブした末、自家製秘伝のタレをベースにしたヨシダソース(正式名称:ヨシダグルメのたれ(R))の生産販売を成功させ、アメリカン・ドリームの体 現者となる。米国の中小企業局、Small Business Administration(SBA)が選ぶ全米24社の中に、FedExやインテル、AOL、ヒューレットパッカードなど並んで「殿堂入り」を果たし た。2005年にはNewsweek誌(日本版)「世界で最も尊敬される日本人100」に選ばれる。現在、ヨシダグループとして18社を抱え、グループの 会長職と地元料理番組のレギュラー出演、各地での講演から、日本国内での様々な番組出演・各メディア取材などこなし、世界中を飛び回る日々を送っている。 著書に『人生も商売も、出る杭うたれてなんぼやで』(幻冬舎アウトロー文庫)がある。
(http://case.dreamgate.gr.jp/mbl_t/id=751より)
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InterviewWatch 登録日: 2015/10/08
アメリカでイチローの次に有名な日本人。知らなかったあなたに教えよう。Yoshida Groupを率いる吉田潤喜氏である。「強い国、憧れの国アメリカで成功をつかみたい!」。そんな思いを胸に、吉田氏がひとり渡米したのは今から40年前のこと。英語もからきし、徒手空拳の無謀な挑戦だった。が、中学からケンカが強くなりたい一心で、ずっと続けてきた空手が、次々に新しい縁をもたらしてくれることになる。そして1982年、とあるきっかけで生まれた“ヨシダソース”は、家庭の味を生かした本格的なソースとして、一般家庭はもとよりプロのシェフや料理人たちの間に広まっていく。その後マーケットは拡大。ヨーロッパや中南米、また日本をはじめとするアジア諸国など、世界各国でも販売されるまでに。現在、Yoshida Groupは、食品事業以外にも、不動産、ロジスティックス、ディストリビューションなどの事業も展開中だ。グループ年商約250億円の企業に成長したが、「これまで、ああもう倒産やっちゅうピンチが4度はありました。今日はノールールでしゃべりましょか」と、吉田氏は豪快に笑った。今回は、そんな吉田氏に、青春時代からこれまでに至る経緯、大切にしている考え方、そしてプライベートまで大いに語っていただいた。

アメリカでイチローの次に有名な日本人 吉田氏の幼少時代から、現在(取材時)に至るまで、人生の軌跡をまとめたかたちのインタビュー。
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